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新ロシアでのラーゲリ生活

中澤 孝之日本対外文化協会理事 中澤 孝之

軍宿舎より快適な環境
元2重スパイが新刊で証言

 レフォルトボ、ラーゲリは、かつて存在したソ連という国を知る人びとにとって、比較的なじみのあるロシア語である。それぞれ「予審(一時取り調べ)拘置所」「強制(矯正)労働収容所」と訳される。

 レフォルトボは未決囚を収容するための施設で、モスクワ市内のレフォルトボ地区に1881年、建物が建設された。帝政時代にも刑務所として使われたが、1917年のロシア革命以降、人民内務委員会(NKVD)、国家保安委員会(KGB)、内務省(MVD)、連邦保安庁(FSB)などが管轄してきた。現在はロシア法務省(MY)が管理している。主に政治犯、反体制活動家や著名な文化人が入れられ、近年には、2006年に英国でポロニウム210によって暗殺された元KGB要員アレクサンドル・リトビネンコ氏が亡命前に一時収容された。

 悪名高いラーゲリは、第2次世界大戦後に敗戦国の日本人やドイツ人の捕虜が収容され、強制労働を強いられたことで知られる。ソ連各地に少なくとも500カ所散在し、そこに送られた「囚人」は、数百万から数千万にも上るといわれる。1986年にペレストロイカ(立て直し)政策を推進し、政治犯をなくしたミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の指令でその多くが廃止された。

 ところで、今年3月4日に英国ソールズベリーで、軍用神経剤ノビチョクの一種A234に触れて重体となったロシアの2重スパイ、セルゲイ・スクリパリ元連邦軍参謀本部情報総局(GRU)大佐(当時66)とその娘ユリアさん(同33)については本欄(10月14日付)でも中途の状況を報告した。事件の容疑者2人の名前が挙げられたものの、ロシアにいる彼らは犯行を断固否定したままだ。

 それはさておき、事件を精力的にフォローしていた英国メディアのうちBBCの放送記者が10月初めに事件に関連する書き下ろしを出版した。310ペ-ジの本のタイトルは「スクリパリ・ファイルズ」。「死の縁(ふち)に立ったロシア人スパイの人生」という副題がついている。著者のマーク・アーバン氏(57)は歴史家でもあり、BBCに籍を置きながら、英紙「インディペンデント」の軍事問題特派員としても活躍した。

 筆者はロンドンからアーバン氏のこの著書を早速購入し、通読した。3月の襲撃直後までのスクリパリ氏とその家族の動きや冷戦時代の東西のスパイ合戦が詳細に紹介されており、それなりに興味深い。そこには昨年夏、スクリパリ氏本人との長時間のインタビューで得た知識が含まれている。しかし、残念ながら、スクリパリ親子がなぜ狙われたかという肝心な疑問への答えは書かれていない。また、アーバン氏が書き終えたと思われる9月後半以降の約1カ月の間、事件に関連するさまざまな新情報が伝えられたため、最新の動きを知る参考にはなりにくい。

 スクリパリ氏は2004年12月に突然、FSB捜査官によってモスクワ郊外の自宅で逮捕され、レフォルトボに送られた。著者はスクリパリ氏からこの刑務所について聞き取った内容を要旨次のように綴(つづ)っている。監房での生活の一端を知ることができる。

 「KGBはレフォルトボを“取り調べ隔離所”と呼んでいた。ソビエト共産主義が崩壊した後、管理体制がいくらか自由化されたと言った方が公平だろう。(中略)スクリパリは護衛に案内されて自分の監房に着くやすぐに、そこは独居房(単独室)でないことに気付いた。驚くほど広い部屋には、ベッドが三つあった。最初の夜は何とか過ごしたが、いつもはかなりしんどかった。同居人の一人はサーシャというモスクワの根っからのワルで、警官3人を殺したという。単なる殺人犯ではなくテロリストとして扱われた。彼は身長190㌢の堂々たる体格で入れ墨をしていた。その入れ墨の多くは極右を象徴して、ナチスをあしらったのもあった」

 「拘置所の生活は朝6時から消灯の午後10時までだった。監房外では、毎日朝9時から17人のFSB係官が代わる代わる取り調べを行ったが、4時間を超えることはなかったという。体罰は受けなかった。十分な食事が日に3回あって、メニューは3日のサークルで変わった。週に1回、個別的にシャワーが許された。ベッドのシーツは1週間置きに取り変えられ、喫煙者には毎日1箱のタバコが与えられた。翌05年の1月、妻のリュドミラが初めて差し入れを持って面会に来た。新ロシアではレフォルトボの未決の在監者は幾つかの特権が許された。その一つは、所内で自分の服を着ていて差し支えなく、月に1回は10㌔までの衣服や食料の包みを受け取ることができた」

 「スクリパリは禁固13年の刑を受けて、ラーゲリに送られた。モスクワから約500㌔離れたモルドビア共和国のキャンプで、囚人たちはそこでは濃いグレーか青色の服を着せられた。彼は『第5矯正収容所』を表す『IK5』に入れられた。そこは、ギャングや殺人犯など一般囚人とは隔離され、『肩章』付きの既決囚、つまり警官、士官、汚職FSB要員などが収容されている。軍の宿舎よりも居心地がよかったとスクリパリは回顧した」

(なかざわ・たかゆき)

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