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カメラが何回震えても、国連安保理は決議せず

yamada

 

 ミャンマーでは軍クーデターへの抗議デモが続き、死傷者、拘束者が増える一方だ。治安部隊は銃撃の乾いた音を響かせ、負傷者救助中の若者を棒で殴り続ける。そんなニュースを見て、1988年のこの国(当時はビルマ)の民主化運動デモのビデオ映像を思い出した。心にひびく映像だった。

 現地の若者たちが撮影し、NHKバンコク支局に送り続けたものである。素人が大きな撮影カメラで懸命の隠しどり。特に感動したのは、デモ末期、軍の弾圧が極限に達したころ、デモの隊列の中で撮影した場面だった。乾いた音が集中し、傍らの中年の主婦も青年も血に染まって倒れる。それを写しながら画面はガクガク小刻みに震え続ける。撮影者自身が恐怖で震えていた。震えながら、それでも世界にこの惨劇を知らせたい一心で、必死にカメラを回し続けていたのである。当時のビルマは国営の新聞や放送しかない。SNSなどなく、デモの実態を国外に知らせること自体、本当に大変だった。

 今回のデモ参加者の多くも震えているに違いない。でも、自分たちの思いを国際社会に届け、その圧力で何とか事態を変えてほしいと願って必死なのだろう。

 だが国連の対応はどうか。事務総長特使や人権特別報告者らは頑張って報告し、強力な対応を訴える。だが肝心の安全保障理事会の腰はまたまた重かった。2月に報道声明、そして先週、1段上の議長声明を出すのがやっと。拘束力はない。内容も中国、ロシアなどの主張で、クーデター非難も今後の制裁の可能性の示唆もない弱いものだ。

 世界では、対ミャンマー武器禁輸を含む制裁決議採択を望む声が多いが、北朝鮮の核開発の場合と異なり、純粋な内政問題とする中露は拒否権を行使するだろう。ミャンマー軍は中露兵器のお得意サンでもある。中露は2007年、当時のミャンマー軍政への非難決議を拒否権で葬った。同年9月にまたデモが弾圧されたが、直後の安保理も議長声明で終わった。

 拒否権行使は中露の十八番だ。07年以後、シリア内戦関連を中心にコンビで12回、ロシア単独で11回。行使したりちらつかせたりで、近年大半の場合中露がブレーキをかけ、シリア内戦・化学兵器使用、ロシアのウクライナ領侵略、リビア内戦、世界最悪の人道危機というイエメン内戦、ミャンマーでのロヒンギャ虐殺などの重大事案で、安保理は見逃し三振やエラーを重ねてきた。昨年3月、グテレス事務総長はコロナ禍を理由に、人道・医療支援のため各地の紛争の停戦を訴えた。安保理がやっとその訴えを支持し、休停戦呼びかけ決議を採択したのは7月初めだった。

 国連人権理事会は先月、拘束されたアウンサン・スーチー国家顧問らの解放や人権尊重を求める決議を一応採択した。だが、中露を初め決議不参加のメンバーも相次ぎ、インパクトの乏しい決議だった。人権理も中露の壁は厚い。中国の新疆ウイグルや香港や人権抑圧、ロシアの反政府指導者毒殺未遂などの問題も全く動かせない。欧州諸国が中心となって声明を出しても、中国はより多数の国を集めた共同声明で対抗する。そんな現在進行形の重大な人権問題の脇で、先月の会合でも韓国はまたぞろ慰安婦問題を持ち出した。

 議長声明+米欧のバラバラ制裁では、ミャンマー軍の尻に火はつかない。「国連へのミャンマー国民の希望が薄れつつある」(事務総長特使)。50年前、国連信仰が特に強かった日本で、「国連は田舎の信用組合」と言って辞任させられた大臣がいたが、安保理の信用が信用組合以下になるのを恐れる。

(元嘉悦大学教授)

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