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文化芸術立国日本を訴えよ 新春座談会(上)

東京五輪に向けてのビジョン2020国家戦略

日本再生の「カギ」は日本文化の再発見

500 東京オリンピック・パラリンピックが2020年に開催されることが決まり、日本の前途に明るい光が差し込んでいる。これを機会に日本が再生し世界に誇れる国になることが期待されるが、そのためには何が必要か。「東京五輪に向けてのビジョン2020国家戦略~日本再生の『カギ』は日本文化の再発見~」をテーマに、東京オリンピック・パラリンピック担当の下村博文文部科学大臣とデザイナーのコシノジュンコ氏、世界日報主筆(社長)の木下義昭が、文部科学省の大臣室で論じ合った。

大きかった高円宮妃久子殿下の御努力

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新春座談会に出席した下村博文文部科学大臣(中央)とデザイナーのコシノジュンコ氏(左)と木下義昭本紙主筆(社長)=文部科学省の大臣室

 下村文科大臣はまず、ブエノスアイレスでの大会で開催地が東京に決定した背景に、「オールジャパンになっていた」ことがあると述べた上で、特に今回は、高円宮妃久子殿下が東日本大震災の際の御礼をされたスピーチが「すごいインパクト」があり、国際オリンピック委員会(IOC)委員に対し昼夜御努力されたことが「大きかった」と語った。

 また、下村大臣は「2020年をターゲットイヤーにして20年から新しい日本の創造をしていく」考えを表明、「天恵」としての東京大会で「文化芸術立国日本」を訴えるとともに崇高な精神性で世界に貢献できるオリンピックにしたいとの意欲を表明した。

 コシノ氏は「チームワークは日本の特徴」と指摘。オリンピックとパラリンピックを「両立」させる必要性を強調し、「車椅子のファッションショーを街で行う」ことなどを提案した。また、日本のオリジナルのオペラを世界に発信すべきだと訴えた。

 木下主筆は「日本に世界が羨望する素晴らしい皇室がある。日本人が再認識していかないといけない」と言及。さらに「日本人は『和』を尊ぶ民族性、精神を保有していることを実証した」とし、「『和』の文化に裏付けされた優れた技術に自信を持ち、堂々と『和魂和才』の時代をつくり上げていく時になった」などと語った。

肝要なオールジャパンの心

圧倒的に伝統のある日本-下村
逆転の背景に宮様の御力-コシノ
皇室は世界が敬意を表す-木下

2人の御皇室出席は戦後初-下村
楽しみたい最大のイベント-コシノ
大きな感動与えたスピーチ-木下

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高円宮妃久子殿下はブエノスアイレスでスピーチされた
(AFP=時事)

 木下 最初に下村大臣におうかがいしたいのですが、東京オリンピックが1964年以来56年ぶりで2度目という素晴らしい決定がなされました。国民も世界も非常に注目しました。表向きいろいろな報道がなされていますが、大臣のお立場でこういうようなポイントがあったんだということ、例えば皇族として初めてIOC(国際オリンピック委員会)総会に出席された高円宮妃久子殿下は、東日本大震災時の各国の支援にお礼を述べられましたが、このスピーチは大きな感動を与えました。大臣がそばにおられて一部始終御覧になっていましたが…。

 下村 今回はオールジャパンだと思うんですね。2016年の1回目のチャレンジの時に失敗したのは、オールジャパンになっていなかったからです。その時に御皇室は、宮内庁が協力しなかったので来ていただけなかった。今回は実際、お二人に来ていただいたんです。ブエノスアイレスに三笠宮彬子(あきこ)女王殿下、ひげの殿下の御長女です。それから高円宮妃久子殿下。結果的にはお二人にお越しいただいた。他の名目で来られたんですけれども、しかし、一つの行事に結果的に二人の御皇室の方が出席されたのは、少なくとも戦後初めてのことなんです。

 特に今回は、高円宮妃久子殿下がプレゼンテーションでないスピーチをされました。東日本大震災の時の御礼ですね。「TSUBASAプロジェクト」といって、IOCはじめ世界のトップアスリートが被災地に足を運び、そこで激励をしていただいたり、IOCとしても義捐金(ぎえんきん)等、協力をしていただいた。その感謝、御礼を久子様がメッセージで、それも素晴らしいフランス語と英語で語られました。英語圏の人たちが憧れるようなクイーンズイングリッシュでした。これは本当にすごいインパクトがありました。

 コシノ 私たちもずっとテレビにかじりついて一部始終見ました。本当に世界中があっと驚く逆転だったと思うんですね。一時はどうなるかということが数字的にあったじゃないですか。それが最後に日本に決まったっていうのは、やはり宮様のお力がすごく大きかったなって思います。

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下村博文(しもむら・はくぶん)群馬県出身。早稲田大卒。平成元年から東京都議会議員2期。平成8年から衆議院議員。6期目。衆議院外務委員会理事、自民党政調副会長、同副幹事長、内閣官房副長官、文部科学大臣政務官、法務大臣政務官などを歴任。現在、第2次安倍内閣で文部科学大臣(教育再生担当、東京オリンピック・パラリンピック担当)。

 下村 これはほとんど報道されていないことなんですが、久子様には30人程度のIOCメンバーに個別、具体的に会っていただいたんです。30人程度それぞれに、20分おきぐらいで。

 木下 そうですか。ほとんど知られていないことですね。

 下村 9月7日がプレゼンテーションの日だったんですが、4日に現地に入っていただきました。私も一緒に飛行機で行ったんですけども、4、5、6の3日間は1日10人ずつ、それぞれ20~30分ごとに、30人程度のメンバーに個々に会っていただき、それ以外の時はまさにロビー活動です。ヒルトンホテルの1階のロビーにIOCの方がたくさんおられ、そこに自らお出ましいただいて一人ひとりに声をかけていただき、ロビー活動をされたんです。

 木下 日本国民として頭が下がります。大変な御努力をされたのですね。

 下村 そうですね。非常に限られた場所ですし、警備も厳しかったものですから宮内庁の職員も警護官も一切入れなかったんです。文部科学省の職員も私の警護官も入れなかった。ほとんど私が付き人のような形でお傍にいさしていただいたんですが、食事もされず、サンドイッチをつままれる程度で、朝の9時から夜の12時まで、1対1でお会いする時間以外はロビーで一人ひとりに声をかけられながらお話をされていたんです。

 これが皇室のすごいところで、IOCメンバーのうち11人はヨーロッパの王族なんです。1割は王族です。王族同士は結婚式で国境を超えて皆集まるんですが、その時は日本の皇室が必ず招待されるので、久子様はヨーロッパの王族関係の方々とは前からほとんどお知り合いということもありました。それから、日本のスポーツ関係の9団体の名誉総裁や名誉会長をサッカーを始めされているんですね。だからその関係でもお知り合いの方がIOCメンバーの中に相当数いらっしゃいました。

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コシノ・ジュンコ 大阪府出身。昭和53年パリコレクション初参加。北京、NY、ベトナム、キューバ、ポーランド、ミャンマーなど世界各地でショーを開催。和太鼓パフォーマンスグループTAOの舞台衣装、沖縄の琉球海炎祭で花火のデザインを手掛ける。平成26年1月23日~3月16日、ブラジル・サンパウロで現代美術家の矢柳剛さんと「Opa!陽気な黙示録」展を行う。

 コシノ 他にそういう方はいらっしゃいませんものね。そういう意味ではものすごく大きなポイントになりましたね。

 下村 そうですね。

 木下 コシノ先生は20年前、JOC(日本オリンピック委員会)のロゴをデザインをされていますし、サッカー関係のデザインもされてきました。

 コシノ ちょうど今年で20年です。20年前にこの「がんばれ日本」のマークを寄付したんです。これで日本オリンピック委員会はお金集めをし、それが実ってやっと東京オリンピックの2回目というので、本当に贅沢なことだと思うんですけども私たちの人生で、恐らくこれから最大のイベントになると思います。ですから東京オリンピックは、先ほど大臣もおっしゃったオールジャパン、日本全体がこの事業を楽しんでやっていかなければいけないと思うんです。東京って付いているから、東京だけのことかという誤解もあると思うんです。それをもっと、日本全国に一緒にやるんだということを是非伝えて、日本全体のチームワークでやっていただきたいですね。久子様は東京の方ではなくて日本の方としてあんなに努力されて実現したのですから。

 木下 そうしますと、日本の文化の真髄というのは日本に世界が羨望(せんぼう)する素晴らしい皇室がある、ロイヤルファミリーがあるということで、これが基本ですよね。この素晴らしさを、大臣のお話をうかがって改めて日本人が再認識していかないといけないと思います。

 下村 海外から見て、ブエノスアイレスにおけるサプライズは久子様のスピーチだったんですね。それはおっしゃるとおり海外にも王室があるところもありますけれども、日本のように少なくとも1300年以上続いている、皇紀で約2700年、万世一系の男系男子でつないできた国は世界にはありませんので、圧倒的な伝統、歴史があるんです。日本人が思っている以上にヨーロッパの人は皇室に対しての憧れ、敬意を非常に持っていることを私も現場にいてすごく感じました。

 木下 いいお話をありがとうございました。

 コシノ スペインとかイスタンブールはそういう活動をされたんですか。

 下村 スペインは皇太子が来られていましたね。

 木下 そんなにロビー活動はされてなかった…。

 下村 いやいや、していました、相当。IOC側にヒルトンホテルのワンフロアごとに部屋をいくつも用意してもらい、3都市の関係者はそこで会合などができるようになっていました。そこにIOCメンバーをそれぞれの都市、国がお呼びしました。ただ101人の委員のうち、最初からトルコやスペインに決まっているような人はお呼びしない。まあ浮動票ですよ。まだはっきりと決めていない人、それから東京に入れていただけそうな人。そういう人を中心に、特にまだ決まっていない人を中心にロビー活動を行ったというのは大きかったと思います。

文化芸術立国日本を訴えよ

車椅子ファッションショーを-コシノ
東京全体をバリアフリーに-下村
人間性の「尊厳保持」を謳え-木下

「整理」こそデザインの基本-コシノ
緑あふれる環境都市に整備-下村
一層の発展・繁栄の出発点に-木下

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文部科学省大臣室で行われた新春座談会

 下村 今回は2回目の東京オリンピックでもあるわけですけれども、2回目だからやはりコンセプトが当然違うと思うんです。1回目の時は1964年で、東京オリンピックをきっかけに高速道路を造ったり、新幹線を開通させたりと、それはそれで日本が高度経済成長の大きな波を作っていくということと、終戦から脱却した新しい日本を世界に見てもらうという意味では……。

 コシノ 大きなロマンがあったわけですね。

 下村 そうですね。今回は、そういう都市基盤整備的なものではなくて、是非、日本そのものを文化芸術立国として世界の人たちに分かってもらうという機会として使うべきだと思います。

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世界日報主筆(社長)木下義昭

 木下 「オリンピズムの根本原則」の中に、「オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見いだされる喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である」とあります。さらに、その目標は「スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある」と謳(うた)っています。今度の東京オリンピック・パラリンピックはこのような趣旨に沿った未だかつてない「文化的」なものにしていきたいですね。

 コシノ もともと近代オリンピック創立者のクーベルタンは、スポーツと文化という二本立てで始めたと思うんですよ。スポーツの式典のように一見、見えるわけですけれども、それを両立することが大切です。日本こそその文化を発信できる可能性が山ほどあるわけで、これをきっかけにスポーツを通じて日本の文化を知ってもらう。

 1964年の東京オリンピックの際は、これからは車の時代だということで高速道路を造った。私も高速道路の地中化の委員を国土交通省でしているんですけども、どんどん高速道路ができて、日本橋のど真ん中の上に高速道路を造ってしまった。日本の自慢の浮世絵にある日本橋が残酷にも高速道路がズバッと…。そういうあまり先のことも考えずに造ってしまった。それがどんどん増えて、東京の一番ポイントである六本木は高速道路で暗いイメージがあるんですね。

 これを機会に整理することだと思うんです。デザインの基本って整理することなんです。ですから、どういうふうに整理していくか。足し算ではなくて引き算をして。街を美しくということが街のためになったわけですけど、もう一回一歩引いて、街が美しく見えるにはどうしたらいいか、そこを考えねばね。

 もちろん、大きな予算をかけないと地中化はできないし、地中化には30年かかるんです。将来的にはそうなるでしょうけれども、今はたった7年で何をするか。また、登って終わりでどっこいしょではなく、登ってそれからどう下りていくか。大きな山は7年後でしょうけれども、それを目指すだけではなく、その次の子供たちの将来のためまで考える。今回、オリンピック、パラリンピックってありますが、どうしてもオリンピックが華やかでパラリンピックが付け足しのような感じです。日本がパラリンピックに対して心から受け入れるにはどうするか。街の真ん中でバリアフリーにしてパラリンピックを皆が応援して見れるような、心の大きい東京、日本の舞台というふうになったらいいですね。答えとしてはオリンピック、パラリンピック、この両立です。

 下村 9月7日に東京招致が決まって、9月13日にすぐ安倍総理から私がオリンピック・パラリンピック担当大臣を拝命したんですけれども、そんなに早く決めたのは初めてのことで、1964年の東京オリンピック、72年の札幌オリンピックといずれも担当大臣を決めたのは開催都市の招致が決まってから2年後以降なんですよ。長野の時は置いていないんです。今回、即決めたというのは7年しかないということと、単にそういう基盤整備をするだけではなくて、おっしゃったように2020年をターゲットイヤーにして、2020年が終わりではなくて2020年から新しい日本の創造をしていく。

 木下 文字通り、さらなる発展・繁栄への新日本のスタート。

 コシノ そうだと思います。

 下村 そのために今から準備をしていかなくてはいけないということで、10月4日に内閣官房に2020年オリンピック・パラリンピック東京大会推進室をつくりました。いろいろな省庁から30人近くの役人を出向させ、そこで今おっしゃったようなことを含めて全部、今から準備をしていきながらオリンピックそのものの歴史を変えるような、そういうオリンピックを日本からつくっていきたいと思っています。

 コシノ やはり街が美しくなるということが皆さんの将来的な希望だと思うんですね。特に車の街ではなくて、人が楽しむ街。視点が違うと思うんです。60年代は車に憧れ、今はもう誰だって車を持って渋滞で大変。そして街の真ん中に高速道路があるわけですけど、何も、そんなに急いでどこ行くのっていう感じ。それよりも、もっと優雅に人が楽しむような都市計画が大切です。

 下村 人が楽しむという意味では、今、ひとつ指示しているのは、世界で最先端の環境都市っていうのはこういう所なんだというところを世界に示すような東京にすることです。1300万も人が住んでいるのに、何で東京の空はこんなにきれいなんだ、川や海にはこんなにきれいに水が流れ魚が泳いでるんだっていう、今よりもさらに世界最先端の緑あふれる環境都市・東京を造っていく。そういうことを今から準備していかないと間に合わない。

 コシノ 一時、東京都も緑の街ということで、マークをグリーンにしたりしましたが、言葉だけではダメですね。今回は具体的にやっていただかないと。

 下村 オリンピックが決まったので、できやすいと思いますよ。

 コシノ やりやすいと思います。皆さんもそれを期待していると思うんです。私はね、車椅子のファッションショーを街でやっているとか、7年後に何かやるんではなく、それまでに何をやるかなんですね。それまでどんどん街が全体にうるおっていく。やはり日本の観光にしても外国から来るにしても、受け入れとして街が美しくないといけない。

 木下 車椅子といえば、下村大臣は車椅子でどこにでも行きやすいように整備が必要で、自分でも直接そのルートを車椅子で体験すると言っていましたが。

 下村 羽田から国立競技場がある千駄ケ谷までを自分で車椅子に乗って移動しようと計画して調べたんです。そうしたら、乗れないんです。車に乗ったら意味がないので公共機関に乗って移動しようと思ったんですがモノレールに乗ることはできるんですが、浜松町駅にはそもそも階段しかないから車椅子では一人では移動できません。それから、千駄ケ谷駅は車椅子では降りられないんです。だから、JRの社長に会って「これから私は車椅子に乗って移動する」と言ったんです。「それまでには間に合わないかもしれないけれど、オリンピックまでには是非そういう所だけでなく、東京全体をバリアフリーにするということをJRとしても先頭に立ってやってもらいたい」と言いました。まさにこれはオールジャパンですよ。「やる」と言ってましたけれどね。

 コシノ 私は東京の青山の骨董通りの方に約30年いるんですけれど、まだ、歩道はベビーカーも通れない、電信柱がど真ん中にあったり、もうぐちゃぐちゃですよ。知事さんが何人も代わり、約束したことが忘れられてしまっているんですね。改めてこの機会にもう一度見直して、街を部分ではなく全体を見渡して、整理し直すことをお願いします。

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