ワシントン・タイムズ・ジャパン
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コロナ禍に問う 日本人の死生観

人は死んでカミになる

浄土真宗本願寺派称讃寺住職 瑞田 信弘師に聞く

 団塊世代が後期高齢期に差し掛かり、日本は多死社会になりつつある。さらにコロナ禍で死への関心が高まり、「メメント・モリ」(死を想え)が人々の頭をよぎる。そこで、浄土真宗本願寺派の僧籍を持つ宗教学者・山折哲雄氏の近著『生老病死』(KADOKAWA)を題材に、同派住職の瑞田信弘師に日本人の死生観について伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

『生老病死』の観想は?

自然と共生し日本的仏教に
葬式は宗教回帰のチャンス

 山折先生には称讃寺が主催する「心と命のフォーラム『生きる作法・死ぬ作法』」で長らくコーディネーターを務めて頂き、親しくお話を聞く機会もありました。90歳で出された同書では先生の死生観を率直に語っていますが、浄土真宗よりも民俗学、宗教学に軸足を置いているように感じます。

浄土真宗本願寺派称讃寺住職 瑞田 信弘師

 たまだ・のぶひろ 大学卒業後、公立学校教師となり、その後、飲食店を経営する傍ら専門学校講師を務める。1998年、父親の死去に伴い称讃寺第16代住職を継職、2001年に本堂新築落慶法要を行った。FM高松のパーソナリティー、NHKカルチャーセンター講師、終活支援団体の一般社団法人「わ ライフネット」代表理事など務める。著書に『ただでは死ねん』(創芸社)『浄土真宗の智慧』(アートヴィレッジ)がある。

 先生は戦前、サンフランシスコで生まれ、帰国後、母の故郷である岩手県花巻市の寺に疎開しています。宮沢賢治がその寺の檀家(だんか)で、賢治は真宗から日蓮宗に宗旨替えしましたから、そのことも著書で触れています。

 東北大学文学部を卒業し、同大助教授になりながら、そのまま教授にはならず、国立歴史民俗博物館に転じて、各地の民俗をフィールドワークしています。その資料は今も民博に保管されていると、よく話されていました。先生は日本人の民俗を探りながら、ご自身の死生観を深めていったように思います。

同書に「ヒトは死んで 山にのぼってカミになり 同時に ホトケになって先祖になる時代がやってきた」とあります。

 薬師寺の高田好胤(こういん)師は修学旅行の高校生に「人は死んだら仏さんになり、50年経(た)ったら神さんになるんや」と話していたそうで、家の中に神棚と仏壇が同居し、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の日本人の死生観に沿った説明です。

 民俗学者の柳田国男は、日本人は死んだらその魂が近くの山の上にいて、子孫たちの暮らしを見守っており、やがて子孫の誰かに生まれ変わってくる、というのが古来からの日本人の死生観だったと言っています。自然と共生してきた縄文時代や弥生時代を経て、そうした生命観を培ってきたのでしょう。その上に仏教が入ったので、浄土教では人は死んだらはるか遠くの西方浄土に行くと教えていますが、それを近くの山にいると読み替えて受け入れ、日本的な仏教になったのです。

ところが、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は「神祇(じんぎ)不拝」で、神を拝んではいけないと言っています。どんな背景からですか。

 親鸞聖人が入門された当時の比叡山延暦寺は、最澄伝教大師による開山から400年を経て次第に世俗化し、僧侶も出世の道の一つになり、権力者らに求められるまま現世利益の加持(かじ)・祈祷(きとう)や死者の追善供養をするようになっていました。比叡山は修行の場でなくなったと思った親鸞は29歳で山を下り、「和国の教主」と慕う聖徳太子建立の六角堂に百日参籠(さんろう)し、95日目に夢告を得て、法然を訪ねます。そこで、法然の「南無阿弥陀仏」を唱えれば救われるとする称名(しょうみょう)念仏に出合い、阿弥陀如来(あみだにょらい)一仏を信じ大転換します。

 生涯の集大成の『教行信証』には、「自ら仏に帰命(きみょう)し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠(まつ)ることを得ざれ、吉良日(きらび)を視(み)ることを得ざれ」とあります。

 私たちの迷いや苦悩の元は無明(むみょう)による我執(がしゅう)で、苦悩そのものは存在しないというのが釈尊の教えですが、えてして私たちは我執の心に振り回されていることに気づかず、何か大きな力に頼って苦しみから逃れようとしてしまいがちです。

 そうではなく、衆生(しゅじょう)の救いを願う阿弥陀如来の本願を信じ、委ねることで、誰でも死後、極楽浄土に往生できるとしたのが浄土真宗の他力本願です。真宗が一向宗と呼ばれたのは、阿弥陀如来だけを信じるからです。

 でも、山折先生は、他力本願は最後の段階でどこか無理があると言っています。日々の暮らしの中で、人々は何らかの自力によって生きており、他力で生き切るには限界があるからです。

「死に方」について山折先生は、多く高僧たちが寿命を悟ると、精進や断食の行に入り命終(みょうじゅう)を迎えていたことから、「最期は断食で」と何となく思うようになったと言っています。

 若い頃の大病で臨死体験をしたことが影響しているのかもしれません。死に向かって食を減らしていくと、脳から脳内伝達物質が放出され、幸福感に満たされるそうです。今は医師が死の三兆候によって死亡時刻を確定しますが、生と死は明確に区別できず、生から死になだらかに変化していくものです。

 例えば、ご遺体を湯かんし、きれいにひげをそっても、翌日には伸びてきています。お孫さんらにそれを指摘し、「おじいさんの耳はまだ聞こえているから、ありがとうと言って見送ろうね」と言うと、本当に葬式らしい雰囲気になります。

真宗の葬式で「白骨の御文章」を聞くと、誰もが宗教的な気分になります。

 ですから葬式では法話が大事なのですが、最近は法話をしない僧侶が増えています。死を遠ざけてきたことが宗教離れになった一因ですから、葬式を参列者が宗教に回帰するチャンスにすべきです。

仏教では「生死一如(せいしいちにょ)」で生と死は同じことと教えます。

 死にざまは生きざまということですね。最近、ご主人を亡くしたおばあさんたちを訪ねて驚かされるのは、「主人と同じ墓には入りたくない」と言う人が多いことです。

他人(ひと)事ではありません。

 仏教の教えは宗派によって少しずつ異なりますが、やはり「今を生きる」ことに集約されてくるようです。親鸞聖人の教え通りだと、位牌(いはい)はいらない、先祖供養はしないとなるのですが、門徒さんの多くは日本人の伝統的な死生観で生きていますから、そこのところは柔軟に対応しています。

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