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瞑想からマインドフルネスへ

ストレス社会にリラックス効果

聴行庵住職 東 和空師に聞く

 ブッダが悟りを開いたとされる瞑想は、禅宗はじめ仏教各宗派に大切な行として受け継がれている。さらに、カトリックと禅宗の「東西霊性交流」でも禅堂や修道院での瞑想(めいそう)が行われ、近年はテーラワーダ仏教(上座部仏教)が源流のマインドフルネスが、心身の安定を回復するメソッドとして欧米から世界に広まっている。人々の宗教的行為の原点とも言える瞑想について、天台系僧侶の東和空師に伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

物事の在り方体得
座禅で自分と向き合う

瞑想とは何ですか。

聴行庵住職 東 和空師

 ひがし・わこう 1964年山口県下関市生まれ。宇部工業高等専門学校卒業。会社員、代議士秘書を経て、天台宗比叡山延暦寺で得度。広島太光寺で修行、大津圓満院住職の後、現在は広島聴行庵住職、平和大使。カンボジアでの教育NGO活動を基に、宗教・宗派を超えた平和活動を展開し、難病MEN1型からの回復を契機に傾聴活動を始める。ラジオ中国放送の番組で12年間パーソナリティーを務めた。「傾聴広島」「今小屋」「滝の観音献水物語」を主宰している。

 瞑想もしくは冥想は、その文字から、人知の及ばない霊威の働きのこと、地球を超えて宇宙全体のこと、つまり神仏に魂が侍ることを意味します。現実的なものや、そこから派生する妄想などを排除し、一旦、忘れながら、私たちの五感が本当に感じるものから、大いなる神仏の働きの中で心と体を見詰めて魂で感じていく行為です。

 瞑想の源流は紀元前2600年から紀元前1800年のインダス文明の時代、古代インドのヨーガに求められます。ヴェーダの教えに基づき、瞑想など鍛錬によって心身、感覚器官を制御し、精神を統一し、心の働きを止滅させ、人生究極の目標である輪廻からの「解脱」に至ろうとする修行です。

 ウパニシャッド哲学の中心は、ブラフマン(宇宙我)とアートマン(個人我)の本質的一致(梵我一如(ぼんがいちにょ))にあります。梵は古代インドで万物実存の根源とされた「ブラフマン」の漢訳で、宇宙を神格化したもの、梵天は十二天の一つで、宇宙=神とわれとが一つなる境地を瞑想に求めたのです。グルの指導に従って瞑想すると神とつながり、心が安泰になる。周りの人たちも同じような体験をしているので、それが平和だと実感する。神を通じた平和の実現です。そうした宗教的伝統の中から紀元前500年頃、仏教が生まれました。

 ブッダは神に依存し過ぎるのはよくないと考え、世の中の不幸や苦しみに対しても、ありのままの現実に気づき、解決していくしかないとしました。物事には道理があり、原因があり、いろいろな条件が重なって今のような状況になっているのだから、それを明らかにひもとくことから始めようとしたのです。

 見方を変えると、世の中は苦しみだけでなく幸せもあるとしたのが当時の仏教で、ヨーガの瞑想を通じて、神だけでなく、物事の在り方を体得していこうとしたのです。それが仏教の「心身(しんじん)の観察」で、「禅定(ぜんじょう)」と呼ばれています。

日本の禅宗の特徴は?

 禅定は仏教がインドから東アジア、中国、朝鮮を通って日本に伝播(でんぱ)してくる過程で、当地の伝統宗教を取り入れ、いろいろな要素が加わります。宗派による違いもありますが、基本的なスタイルは変わっていません。

 禅定をメインにした仏教宗派が禅宗です。日本には主に臨済宗、曹洞宗、黄檗宗があります。曹洞宗は「只管打坐(しかんたざ)」でただ座ることを重視します。目的を持って座禅するのではない、座禅で何か得られると思うのは大間違いだとします。座禅している時が一番重要なのです。臨済宗には公案という問答があります。思考癖のある修行者に座禅を実践させるために公案を与え、「行住坐臥(ぎょうじゅざが)」(日常の立ち居振る舞い)で公案の答えを考えさせ、座禅させる修行方法です。

 経典を学ぶ前に必要なものは、まず大小悟りの体験であるということです。悟りというものは自分の心で自分の心を観察し、自分の心で自分の心を理解することが入口です。自分の外に頼って何かを明らかにするとか、自分以外の何かを利用して体得するようなものではありません。

 そして、座禅に目的はないというのは、目の前のことに集中することを意味します。座禅の実践によって自分自身と向き合うことが始まりであり、終わりなのです。最初に目的を設けるとそれに支配され、自分で苦をつくり出していくことになる。雑念を消しながら、それに気づかせるのが座禅そのもので、とてもシンプルです。

リラックス効果もあるのですね。

 ヨーガの瞑想法には「サマタ(止)」と「ヴィバッサナー(観)」があり、「止観」と漢訳され、中国天台宗に取り入れられました。サマタは心を留(とど)める集中で、ヴィバッサナーはそれが解かれ、拡散していく様子を、もう一人の自分が観察すること。それにより、周りを平等に認識し、心を落ち着かせます。

 どこにも片寄らない状態になると、動物や昆虫が後ろから近づいても感知するように、意識を六方360度展開することができます。武道では、どこかに集中すると「隙」が生まれるため、リラックスして全体に意識を及ばせ、隙がなくなるようにします。そんな心を日常的に持たせるのが止観の生活です。

 真言宗には、大日如来(だいにちにょらい)を表す梵字が月輪の中、蓮華(れんげ)の上に描かれた軸を見詰めて、姿勢と呼吸を整え瞑想する「阿字観(あじかん)」があります。

 浄土真宗の一部には、瞑想を心理学的に発展させた「内観法」があります。これを行うと、自分の命が自分だけのものではなくみんなとつながっていて、共に生きている、阿弥陀如来(あみだにょらい)の下に他力で生かされているという自覚が深まります。

 マインドフルネスを欧米に広めたベトナム人禅僧ティク・ナット・ハンの原点は、ベトナム戦争で爆撃を受けた人々に食事や薬を届けたり、傷の手当をしたり、人々の遺体を収容したりしたことです。絶望的な状況に食事も喉を通らなくなりましたが、ある日、「どんな味ですか」と尋ねられ、食べ物に注意を向けたことをきっかけに自分を取り戻します。今この瞬間に、完全にここにいるという実践で、平静さを取り戻したのです。

 クリエイティブな仕事をしている人たちはストレスをため込みがちです。そんな人たちをリラックスさせるのにマインドフルネスは効果的で、取り入れる企業が増えています。

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