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椿と万葉歌と奈良の春

1270年受け継がれた祈り

万葉の花研究家 片岡 寧豊さんに聞く

 3月1日から14日にかけて、奈良東大寺の二月堂で1270回目の「修二会」が行われた。二月堂の本尊・十一面観世音菩薩(ぼさつ)に、僧侶たちが五体投地をしながら人々に代わって罪を懺悔(さんげ)し、国家の安泰と万民の豊楽を祈る伝統行事。儀式の間、堂内に飾られるのが練行衆が作る椿の造花で、春を代表する椿について奈良市在住の片岡寧豊さんに話を伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

東大寺修二会 神様呼びお経
日本的な神仏習合儀式

奈良の人たちにとって東大寺の修二会とは。

万葉の花研究家 片岡 寧豊さん

 かたおか・ねいほう 2000年、淡路花博の花の館に出展し、国際コンテスト部門で銀賞など受賞。2002年のオランダ花博で、日本政府館に出展し、いけ花を実演。2010年、平城遷都1300年祭花と緑のフェアー万葉の華しるべ7カ所に花のオブジェと案内板を担当。朝日カルチャーセンター、大阪市立長居植物園・万葉講座などで講師を務めている。著書は『やまと花万葉』『万葉の花をいける』『大和路の花万葉』『万葉の花』など多数。

 子供の頃から、お水取りが済むと春が来たという感じです。12日深夜に若狭井から観音様に供える「お香水」を汲(く)み上げる儀式が「お水取り」で、この行を勤める練行衆の道を照らす「お松明(たいまつ)」は、童子に担がれ、堂を巡りながら火の粉を散らし、闇と炎の神秘的なシーンを展開します。私たちにとっては春を呼ぶ印象的な風景です。

2週間、こもりの僧たちが修行する堂内に、椿の造花が供えられていました。

 奈良の春を彩る代表的な花が椿で、「奈良三名椿」と呼ばれる椿の木があります。伝香寺の「散り椿」、白毫寺(びゃくごうじ)の「五色椿」、そして東大寺の「のりこぼし椿」がそれで、いずれも魅力的な花を咲かせます。

 近鉄奈良駅に近い伝香寺は、鑑真和上の弟子である思託(したく)律師により771年に開創された律宗の寺で、戦国武将の筒井順慶の母・芳秀宗英が順慶の菩提(ぼだい)を弔うため再興したことから、筒井氏の菩提寺となっています。椿は、普通萼(がく)と雌しべだけを残して丸ごと落ちるのですが、同寺の椿は桜のように花弁が一枚ずつ散ることから「散り椿」と呼ばれています。石仏の周りにピンク色の大きな花弁が散っている風情に趣があります。

 萩の寺としても知られる高円山の麓にある白毫寺は715年、志貴皇子の没後、皇子の山荘を寺としたのに始まる真言律宗の寺で、境内の五色椿は樹齢約400年、何と一本の木なのに紅・白・桃色の3色を基本に、変化に富む色とりどりの花が咲き、奈良県の天然記念物に指定されています。木の根元、苔(こけ)の上に落ちた花を見ると、これが一本の木から落ちたとは思えません。奈良中央郵便局の一日局長をさせていただいた時、局内の庭に大好きな五色椿を記念植樹しましたが、今も美しい花を付けてくれています。

 東大寺開山堂には東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正の像が祀(まつ)られています。ここに咲く椿は、紅の花びらに白い糊(のり)をこぼしたように見えることから「のりこぼし」と呼ばれるようになりました。白いまだら模様はいろいろあり、自然の妙味を感じます。「二月堂椿」「良弁椿」とも言われます。

奈良の寺や神社には椿がたくさん植えられています。

 2008年には奈良市で第18回全国椿サミット奈良大会が開かれました。私は舞台の花を担当したのですが、護国神社の宮田康弘宮司さまが境内の椿を使うといいよ、と仰ってくださったので、とても豪華な作品に仕上がりました。前衛書家の榊莫山先生が奈良市で講演された折にも、3月初めなので舞台に椿の超大作の花を生けました。

椿は『万葉集』にも歌われています。

 よく知られているのは、坂門(さかとの)人足(ひとたり)の「巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を」です。「巨勢山のつらつら椿を、その名のようにつらつら見ては賛美したいものだなあ、巨勢の春の野を」という意味で、持統天皇が文武天皇と共に紀伊国の白浜温泉に行幸した時、同行した坂門人足が詠んだ歌です。行幸された季節は秋でしたから、椿の花は咲いていません。

 古瀬は古代豪族巨勢氏の本拠地で、氏寺の巨勢寺跡には椿の木がたくさんあります。この歌は、巨勢山を賛美することで土地の精霊の加護を受けて旅路の無事を祈る歌とされています。つらつら(列列)は、椿の花が点々と連なって咲く様子です。

 春日老(かすがのおゆ)は実際に満開の椿を見て「河上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は」と詠んでいます。巨勢は、大和から紀伊への通路にあり、ここから東南に今木峠(いまきとうげ)を越えると吉野へ出ます。

 大伴家持は「あしひきの八峯(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君」(峰々のたくさんの椿をつくづくと見ていても飽きることがないよ、これを植えたあなたは椿のようだ)と詠んでいます。宴に招かれた折、主人へのあいさつを、植えてある椿に事寄せて歌ったものです。

東大寺修二会は大仏開眼の752年から途切れず続いている「不退の行法」です。

 悔過(けか)作法の後に行われる「大導師作法」では、聖武天皇はじめ歴代天皇、東大寺に縁のあった人々、戦争や天災に倒れた万国の人々の霊の菩提を弔うとともに、現職の総理大臣以下の閣僚、最高裁長官などの名を読み上げ、その人たちの働きが天下太平、万民豊楽をもたらすよう祈願します。悔過作法では、懺悔で得た功徳の力を世界に振り向け、今回は特に新型コロナウイルスの終息が祈願されました。

 初夜の大導師作法の間には「神名帳」が読誦(どくじゅ)され、1万3700余所の神名が読み上げられ、全国の神様を呼び寄せお経でもてなします。最後には疫病退散の御霊を呼び寄せる、日本らしい神仏習合の儀式ですね。

 練行衆として28回こもられた森本長老さまは、修二会は中国やインド、ペルシャから伝わったものも多く「正倉院宝物の儀礼版」と言っておられます。

 大仏の落慶法要から1270年間、絶えることなく僧侶たちが受け継いできたのです。東大寺は2度焼失し、修二会も途絶える恐れがあったのですが、練行衆を体験し、人々の悲しみを痛感していた僧たちが継続を訴えたのです。天然痘の流行は自分の罪のせいだと考えた聖武天皇の心が僧たちにも共有されていました。修二会の眼目は疫病退散で、今にふさわしい儀式です。一日も早いコロナ禍の終息を願わずにはいられません。

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