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石器に見る縄文の暮らし

縄文時代の「石器」研究

秋田県埋蔵文化財センター副主幹 吉川 耕太郎氏に聞く

 縄文時代と言えば「土器」を連想しますが、秋田県埋蔵文化財センター副主幹の吉川耕太郎氏は「石器」の研究を続けています。「ほとんどの石器は何に使われたか分からない」と言い、『ヒトとは何ぞや』との問い掛けを続けています。
(聞き手=伊藤志郎)

資源開発・交易にもメス
考古学、今を考える材料提供

先日、縄文時代の石器展をセンター(大仙市)で開催しました。なぜ土器ではなく、石器を研究しているのですか。

秋田県埋蔵文化財センター副主幹 吉川 耕太郎氏

 よしかわ・こうたろう 1973年、兵庫県神戸市生まれ。明治大学大学院博士前期課程修了(考古学)。99年より秋田県埋蔵文化財センター、県教育庁文化財保護室、秋田県立博物館、県教育庁払田柵跡調査事務所を経て現在、同センター資料管理活用班副主幹(兼)班長。旧石器時代・縄文時代の石器研究が専門。著書に『北の縄文鉱山上岩川遺跡群』(新泉社)がある。

 もともと専門は縄文時代ではなく、旧石器時代でした。人類の起源、「ヒトとは何ぞや」に興味があったのです。

 2000年の旧石器捏造(ねつぞう)事件は、縄文時代の石器が旧石器時代のものだとして埋められていました。この時も指摘されましたが、縄文時代は土器の研究が中心でした。もし石器が研究されていれば分かった可能性があります。

 日本で初めて旧石器が見つかったのは群馬県の岩宿(いわじゅく)遺跡で、最初に発掘調査したのが明治大学でした(1949年)。旧石器の研究を牽引(けんいん)していたので私は明治大学に入りました。

日本の旧石器時代は、人類が海を越えて日本列島に到来した約3万8千年前から1万6千年前とされています。今では旧石器は1万カ所以上から見つかっています。縄文時代の開始年代もどんどん遡(さかのぼ)ってきました。

 約20年前に青森県の大平山元(おおだいやまもと)遺跡で今から約1万6千年前の日本最古の土器が発見されました。遡ると、明治時代の1877年にモースが大森貝塚を見つけたが日本の科学的な考古学の幕開けと言われています。

 土器の原料の粘土は可塑(かそ)性に富み文化を反映しやすいのです。考古学は、いつの時代の、どの場所で発掘されたかが重要で、土器はデザインや模様の変化(編年研究)を追いやすく、日本は世界でトップクラス。研究者の数も石器に比べて圧倒的に多いです。

 確かに土器は煮炊きや貯蔵など食生活を豊かにする道具で大切でしたが、石器は狩猟や木を切るなど加工具として欠かせないものです。石器を理解しないと縄文時代の暮らしは見えてこない部分があるし、石器研究を進めるとデザインの違いや地域による変化が見えてきます。使用痕(こん)分析も進んできました。

顕微鏡を使った研究技術の進歩ですね。ナイフや矢尻に使われた黒曜石の産地も分かりつつあります。

 傷跡を見ることで、どのように使われたか機能を推定できるし、黒曜石なら成分を分析することで、どこの火山でできたかが分かるようになってきました。

加工には鹿の角が使われたのですか。

 原石を打ち割るのはハンマーストーン、石と石をぶつけます。細かな形を整えるには鹿の角や堅い木を押し当てるようにしてペリペリと剥いでいきます。

今、石器の何が分かって、何が分からないのですか。

 考古学の研究では一般的に、初めはどうやって作られたのか技術の研究をしています。これは丹念に分析すれば客観的に見えてきます。次は使われ方で、機能の段階になると途端に難しくなります。今でも使われる矢尻、斧、槍などは分かりますが、それは一部。縄文時代の石器を見ると、今に残っているものはほとんどなく、何に使われたか分からないのが実情です。

展示会で紹介された、三つの突起を持つ「三脚石器」や、ギザギザが全周にある「異形石槍」などですね。

 考古学で断定できるのは「どこから出土したか」で、あとは「~と思われる」「~と考えられる」と必ず付きます。むしろ断定したらウソになります。

「縄文時代は平和だった、争いがなかった」という意見がありますが。

 あまり美化し過ぎてもどうか。縄文文化は今につながっているわけですから。人口が少なく自然破壊につながらなかっただけかもしれない。ある研究者は、縄文中期の安定期で東日本は約30万人、西日本は約3万人住んでいたとしています。

ところで2006年に県の北部・三種町(みたねちょう)の上岩川(かみいわかわ)遺跡群で秋田県埋蔵文化財センターが縄文時代の石の採掘場を9カ所も発見しました。

 日本では石器の材料は主に三つです。日本海の底にたまった泥が長い年月をかけてできたのが珪質頁岩。そしてナイフや矢尻に使われたのが黒曜石。西日本に多いのがサヌカイト(安山岩)です。

 頁岩で一番有名なのは山形県の最上川流域です。上岩川遺跡群ではピンポイントで石を採掘していて縄文時代の採石場であることが日本で初めて分かっています。

 石器は生活を切り開いていく道具で、いい石材がどこで手に入るかは重要な問題。資源開発にもつながるものです。上岩川遺跡と同じ材料の石器が宮城や岩手県の遺跡から出てきますし、県内では黒曜石やアスファルトも採れていました。縄文時代は定住生活が中心だと言われますが、地域の資源を開発して物々交換のネットワークを広げていきます。これは土器研究では見えてこないことです。

出土物が増え、時代や地域の比較が進んできたということですね。

 人類の先祖が250万年前に石器を作り始めました。自然と人間、技術の三者のバランスの中に生きています。技術に関して言えば、東日本大震災が起き原発事故が起きました。自動車事故もそうだしスマホ障害も考えさせられるものです。技術によって救われている場面もありますが、人間が苦しめられてもいます。今のことを考えるための思考の材料を提供するのが考古学だと思います。

1975年に文化財保護法の一部が改正され、埋蔵文化財を調査・保護するセンターが全国的につくられていきました。秋田県は今年、開設40周年を迎えました。

 県内で知られている遺跡は約5千カ所あり、そのうちセンターでは約500カ所を発掘調査しました。考古学的には、当時の暮らしが分かることが主目的ではなく、その先に本質があります。大量にある収蔵品の価値付けと再評価を行い、成果を披露する仕事も続けていきたいと思います。

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