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コロナ禍を乗り越える生き方

問われる無症状者の慎み

聴行庵住職 東 和空師に聞く

 大災害は人や社会の深部にある課題を表面化させるという。コロナ禍で明らかになった日本人、日本社会の問題とは何か、それを乗り越え、後世に何を残すか。広島で傾聴や人生を語り合う「今小屋」などユニークな活動を展開している聴行庵住職の東和空師に話を伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

正しく知り 正しく恐れる
働き方を見直す機会に

コロナ時代の生き方は?

聴行庵住職 東 和空師

 ひがし・わこう 1964年山口県下関市生まれ。宇部高等専門学校卒業。サラリーマン、代議士秘書を経て、天台宗比叡山延暦寺で得度。広島太光寺で修行、大津圓満院住職の後、現在は広島聴行庵住職、平和大使。カンボジアでの教育NGO活動を基に、宗教・宗派を超えた平和活動を展開し、難病MEN1からの回復を契機に傾聴活動を始める。ラジオ中国放送の番組で12年間パーソナリティーを務めた。「傾聴広島」「今小屋」を主宰している。

 重要なのは、日頃から正しい情報を得て発信することです。うわさや偏った情報に惑わされず、何が正しい情報か見極める教養と、自分なりの信念や慎みが大事です。感染症が収まるには社会全体が免疫を獲得しなければならず、私たちもその一員としての役割があります。

 新型コロナ感染症は感染しても無症状の人が多いのが従来のインフルエンザと違うところで、知らないうちに人に感染させてしまう恐れがあります。無症状の人にもその危険を避ける行動が求められ、宗教の自戒や慎みに近い振舞いになります。宗教由来の倫理も社会を健全にするのが一つの目的です。

テレワークや地方移住が話題になっています。

 私が僧侶になった頃から少子高齢化と一極集中化などの解決策として長期的に考えているのが「徴農制」、やさしい表現にすれば「援農制」になります。若いうちの3年間、みんなが畜農林業に従事する制度です。

 農作業だけでなく、経営企画から商品・種苗開発、流通、販売、料理、食事作法までいろいろな現場を体験します。生産物は安い値段で学校給食に提供し、残飯も回収すれば、自給率向上とSDGs(持続可能な開発目標)の啓発にもなります。また、生き物の生命力や人間のたくましさと愛情、畏怖畏敬の念や精神性を豊かにする体験にもなる。そして、共同生活からは男女の役割りや異性への思いやりなど、平安を望む宗教心の気づきや少子化にも良い影響を与えるのではないでしょうか。

テレワークなどで自分一人の時間が増えると、仕事を見直すようになります。

 何のために誰のためにこの仕事をしているのか、という問いですね。それまで社内のやり方を見ながら、上司に言われるがままにやってきたことが、自分一人で判断しなければならないことが増えると、必然的に見直さなければならない時間や、コミュニケーション能力が問われてきます。周りに合わせて働いていたのが、その周りが遠ざかってしまったので、自ずから湧き出る思いや創造性がないと、なかなかイメージ通りに行動を起こせず、モチベーションが維持できなくなります。

スポーツでもアスリート一人ひとりに考えさせる指導が成果を挙げています。

 それが本来の個性ある人間の在り方だからです。日本人の集団主義は、「空気」や「同調圧力」など否定的な面から語られる傾向がありますが、没個性的な集団が力を発揮し続けることはできません。構成員の成長なくして組織の成長はあり得ないからです。「和」は違った者たちが認め合い、その時々の変化に応じてしなやかに対応する人々の尊いありさまのことです。

コロナ禍から後世に残す言葉とは。

 独り慎み、正しく知り、正しく恐れることです。そして感染症に強い自分と社会をつくっていくことを忘れないことです。自覚と情報があれば防げるはずですから。今20~30代に正確な情報を伝えるため、SNSなどでの発信が求められています。

 若者のクラスター発生源として会食が指摘されていますが、山寺の修行道場では食事中は無言です。自然の命を頂くのだから、食事の時間は食物と対話すべきだという考えもあります。僧が集団生活するサンガでの経験から、食事中の会話は風邪が感染しやすいことが分かり、皆が守るルールの律になったり、扇子が口元の覆いになったのでしょう。現代においても飲食店の時短が言われていますが、日本本来の食文化作法として、飲食中は高笑いや大声で会話することを慎むことの方が大切なのではないでしょうか。

 戦後教育では自分を戒める自戒はあまり教えられませんでしたが、人間の成長にとって大事なことです。感染症拡大を防ぐためのマスク着用などの自戒の習慣化は、むしろいい方向への転換になるかもしれません。

東日本大震災後、民俗学者の赤坂憲雄教授は、「被災地の至る所で宗教が露出している」と言っていました。

 私も2014年の広島豪雨災害、18年の西日本豪雨災害で同じような経験をしました。土砂崩れで墓地が崩壊したのを、行政が土木業者に修復を発注するのですが、墓石から魂を抜く法要をしないと業者は触れないのです。土砂で埋まった井戸も、供養をしないと不安で暮らせないという人がいたので、行政も相談を受けるようにしたのです。

 潜水艦を廃艦にするための抜魂式に参列した話を聞いたことがあります。神職が魂を抜く儀式をすると、かすかにしていた潜水艦の音が完全に消えてしまったそうです。それまで潜水艦は生きていたのです。

暮らしと宗教との関わりを思い起こす機会になります。

 それが私が徴農制を唱える理由の一つで、農業には多くの宗教儀式が伴います。古くから、春の田植え前になると、山の神が里へ下って田の神となって、農民の作業を見守り、稲作の順調な推移を助けて豊作をもたらすという信仰がありました。水口に花を飾るのもその一つです。ムラ単位の農作業が日本人の生き方、働き方の基本になった。宗教も社会に有用なものだから発展してきたのです。

高齢社会の大きな問題が孤独です。

 孤独の原因は自分自身が分からないことです。それを語り合える友がいれば、自分を見る視座ができ、心が豊かになります。それをしないでいると空しさが残る。そんなことを語り合う塾「今小屋」を、15年前から広島市内の数カ所で開いています。

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