«
»

疫病と万葉植物

一番恐れられた天然痘

万葉の花研究家 片岡寧豊さんに聞く

 新型コロナウイルス感染症の流行は、自然との付き合い方を考え直すきっかけにもなった。古代から日本人は植物にどう接してきたのだろうか。奈良在住の万葉の花研究家・片岡寧豊さんに、万葉の人たちと疫病や植物との関わりなど伺った。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

奈良時代に100万人死亡
痰きりに使われた桔梗根

疫病は万葉集にも影を落としていますね。

 「大君の命(みこと)かしこみ 大船の 行きのまにまに やどりするかも」を詠んだ奈良時代の遣新羅使の雪連(ゆきのむら)宅満(じやかまろ)が経由地の壱岐で天然痘で亡くなっています。

万葉の花研究家 片岡寧豊さん

 

 白村江の戦いで日本は唐新羅連合軍に敗れましたが、中国から新しい文化を導入するため使節を派遣するには朝鮮半島を経由する航路が安全で、天智天皇は親善を図ろうと新羅へ使節団を送りました。当時、壱岐は大陸に渡る航路の中継地でした。

 奈良時代の736年、聖武天皇は新羅に安部継麻呂(つぐまろ)らを派遣し、その使節の随員の一人が雪連宅満です。宅満は壱岐出身のト部(占い師)の子孫で、皆に慕われていたらしく、万葉集巻15に死を悼む挽歌(ばんか)が9首も詠まれています。先祖は朝廷の信任の厚い押見(おしみの)宿禰(すくね)。宿禰が壱岐の月読神社を京都の松尾大社に分霊した縁で、宅満は松尾大社の神職として月読命(つくよみのみこと)を祀(まつ)り、壱岐の島司も兼ねていました。

 しかし、新羅に行く途中、壱岐の印通寺(いんどうじ)で病死し、印通寺港の見える小高い丘に埋葬されました。大使の安部継麻呂も帰路、対馬で病死しています。

 石碑には同僚が詠んだ歌「石田野に宿りするきみいえびとの いづらとわれを問はばいかに言わむ」が刻まれています。これは反歌で、長歌は「天皇(すめろき)の 遠の朝廷(みかど)と 韓国(からくに)に 渡る我が背は 家人(いへびと)の 斎(いは)ひ待たねか 正身(ただみ)かも 過(さか)ちしけむ 秋さらば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日か来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君」です。

壱岐にある原(はる)の辻遺跡(つじいせき)は弥生時代の環濠(かんごう)集落で、『魏志』倭人伝に記されている「一支国(いきこく)」の王都に特定されており、朝鮮半島との交易の遺跡もあります。感染症は人の移動で起こりますからね。

 古くから一番恐れられた疫病は天然痘です。記録では、天然痘は735年に九州北部で発生し、736年の遣新羅使の一行が平城京に帰還したことで本州に天然痘ウイルスが持ち込まれ、737年には全国的に大流行しています。

 平城京では官人の大多数が罹患(りかん)したため、政務の停止に追い込まれる事態になり、国政を担っていた藤原氏の4兄弟も亡くなるほど猛威を振るい、738年1月にやっと終息したようです。当時の人口は約500万人で、天然痘で約100万人が亡くなっていますから、国民の5分の1にもなります。

 天然痘が広まったのは庶民からではなく、外国人を接客することのある官人からなのが、今のコロナとは違います。占いや祈祷(きとう)くらいの対策しかなかったので、周りの人が次々に死んでいくような事態になったのです。

秋の七草にキキョウがあります。

 山上憶良が「秋の野に 咲きたる花を 指折(およびお)り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 おみなえし また藤袴 朝顔の花」と詠んだのが始まりとされています。この朝顔がキキョウのことです。大河ドラマの明智光秀の家紋がキキョウですね。

韓国ではトラジで民謡に歌われ、白いトラジは薬草で、根は食用にされています。

 日本でも古くから「桔梗根」として、痰(たん)きりや咳(せき)止めのほか強壮薬として利用されてきました。キキョウの根はサポニンが多く含まれています。気管支系の疾病に効果があるので、肺炎で亡くなる人が多いコロナでも使われるかもしれません。そういえば、明智光秀も文献記録がはっきり出てくるのは1568年の4月、近江の田中城(今の高島市)で傷ついた兵を治療していた時のことだそうですよ。

 ――その時の活躍が足利義昭の家臣に認められ、次期将軍に仕えるようになったのです。おそらく、越前の称念寺を拠点に諸国を渡り歩いていた時期のことと思われます。光秀は従軍僧の時宗の僧や文献から薬草や治療法を学んでいたようです。

 万葉の人たちにとって植物は、いろいろな思いを託す対象でもありますが、実生活では薬用や食用になることの方が大切だったかもしれません。

昨年9月、福知山城に行くとキキョウが満開でした。

 7月から9月ごろまで咲きます。万葉集にある歌の1首は「朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲き増さりけれ」です。「朝顔は朝露を浴びて咲くというが、夕陽の中でこそ、一層咲き誇っています」との意味で、初秋の美しい情景が目に浮かんできます。

 紫式部の邸宅跡に立つ京都御所東隣の廬山寺の庭には、白砂とコケの緑に涼やかなキキョウの紫がきれいです。方丈には今年11月30日まで、明智光秀が身近に置いて礼拝したとされる厨子(ずし)入りの念持佛「地蔵菩薩坐像」も展示されています。

白毫寺のハギもいい。

 山門から続く石段の左右に赤紫や白の萩の花がこぼれ咲き、萩の寺として有名ですね。万葉集に「高円(たかまど)の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに」とあります。「高円山の野辺に咲く秋萩は、むだに咲いては散っているのであろうか、見る人もいないのに…」といった意味です。霊亀元年9月に、志貴(しきの)皇子(みこ)が亡くなった時に作られた長歌に続く反歌です。

 高円山は奈良市の東南、春日山の南にあり、山の麓にある白毫寺は志貴皇子の山荘跡とされ、万葉歌碑も建立されています。毎年、敬老の日には本堂で「志貴親王御忌」が営まれ、私も献花と献曲をご奉仕しています。

かたおか・ねいほう 2000年、淡路花博の花の館に出展し、国際コンテスト部門で銀賞など受賞。2002年のオランダ花博で、日本政府館に出展し、いけ花を実演。2010年、平城遷都1300年祭花と緑のフェアー万葉の華しるべ7カ所に花のオブジェと案内板を担当。朝日カルチャーセンター、大阪市立長居植物園・万葉講座などで講師を務めている。著書は『やまと花万葉』『万葉の花をいける』『大和路の花万葉』『万葉の花』など多数。

1

コメント

コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。