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「天安門」外交文書 対中融和外交の蹉跌鮮明に

 外務省がこのほど公開した外交文書で、天安門事件に関するわが国の融和外交の蹉跌(さてつ)が明らかになった。

サミットで制裁に反対

 天安門事件は1989年6月4日、北京で民主化を求める多くの学生や市民を人民解放軍が虐殺した事件だ。同年7月の仏アルシュ・サミット(先進7カ国首脳会議=G7)での対中非難声明をめぐり、日本政府が表現を和らげようと動いた詳細が文書には書き込まれている。

 その要旨は「人道的見地から容認できないものの、西側諸国が一致して中国を弾劾すれば、中国を孤立化へ追いやり、長期的大局的観点から得策ではない」として、対中制裁には反対するというものだった。

 議長国フランスが当初示した声明のたたき台では「中国における野蛮な鎮圧および処刑」と表現し、ハイレベル交流や軍事協力の停止などの制裁実施に言及していた。だが日本の反対で共同制裁は見送られ、「中国当局が孤立化を避け、協力関係への復帰をもたらす条件をつくり出すよう期待する」との一文が加わった声明が採択された。

 わが国はその後、円借款を再開するなど、中国の国際社会復帰に手を貸した経緯がある。「世界の工場」となって世界第2位の経済大国へのし上がった中国は、軍備増強を続け悲願の富強大国への道を驀進(ばくしん)する。

 目標は180年を経たアヘン戦争以後、嘗(な)め続けた屈辱を晴らし、世界の秩序を定める覇権国家を確立することだ。「中華民族の偉大な復興」や「中国の夢」とは、そういうことだ。

 そもそも天安門事件の時のような血の弾圧をいとわない国が、自国民の基本的人権はもちろん、外国や外国人を尊重するわけがない。香港国家安全維持法の制定強行、新疆ウイグルやチベットなどでの同化政策、さらには南シナ海への海洋進出や中印国境での冒険主義を目の当たりにすると、対中関与政策が誤りだったことは明らかだ。

 豊かになれば政治改革が起き、自由を求めて民主化も進むというのは、西側のナイーブな願望でしかなかったのだ。それにもかかわらず、いまだに財界や政権内に少なからず対中融和主義者が存在する。

 米国と「新冷戦」に突入している中国は、沖縄県・尖閣諸島問題などで対立しつつも対日融和姿勢を鮮明にしている。天安門事件後、国際的孤立を避けるため日本にすり寄ってきたのと同じ構図だ。

 わが国は同じ轍を踏んではならない。わが国の対中外交が希望的観測と過度の贖罪(しょくざい)意識に影響され、中国の野心を封印する手立てを自らの手で閉ざしてきた歴史があったことを反省すべきなのだ。

習氏国賓来日の撤回を

 戦争とは、武器を持って戦場で戦うことだけではない。外交戦、情報戦、歴史戦、サイバー戦などさまざまな形態がある。これまで日本は中国とのこうした戦いを回避してきたことで、後退を余儀なくされてきた。

 平和願望による刹那的な事なかれ主義が、かえって墓穴を掘る格好になった。これを踏まえれば、中国の習近平国家主席の国賓来日も白紙撤回すべきだ。

(サムネイル画像:天安門事件の犠牲者の追悼のため花が手向けられた =2019年6月4日東京・JR渋谷駅前)

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