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冷戦終結30年 心の「壁」なくし真の自由を

 東西冷戦の象徴だったベルリンの壁の崩壊からきょうで30年となる。壁の崩壊は共産主義体制に対する自由主義体制の勝利を意味するものだった。

東西間の格差縮まらず

 第2次世界大戦で敗北したドイツは、1949年に西側陣営の西独と東側陣営の東独に分かれた。ベルリンは東独にあったが、西ベルリンは西側に属していた。

 東独政府は豊かな西側への人口流出を阻止するため、61年8月に壁を建設した。しかし、この壁は89年11月9日に崩壊し、東西ドイツは90年10月に統一された。ソ連の弱体化、衛星国への影響力低下、東欧諸国で起きた民主化革命、東独国内の混乱など、さまざまな要因が重なったことによるものだった。

 壁の外の自由への熱気が広がった当時と対照的に、旧東独地域では、市民の不安を背景に、移民や難民の流入を拒む右派政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が台頭した。このことは、東西分断の後遺症がいまだに癒えていないことを物語る。

 旧東独の経済指標は改善している。政府によると、平均月給は統計開始時の96年から昨年までに約1000ユーロ(12万円)増加。ただ、西側を2割前後下回るという格差は、ほとんど縮まっていない。ドイツの主要株価指数を構成する30企業も西側に集中。職を求め、90年以降120万人が西側に移った。

 旧東独を「統合の犠牲者」と位置付け、支持を集めるAfDの戦略は奏功している。東西間の格差が、ポピュリズム(大衆迎合主義)に付け込む隙を与えていることが懸念される。

 ベルリンの壁崩壊で民主化が旧ソ連・東欧に拡大し、共産主義独裁体制が崩壊したことの意義は大きい。東独で当時、民主化運動に参加した人たちの「われわれこそ人民だ」というシュプレヒコールは、独裁に抵抗する勇気を奮い起こすものだった。

 現在、AfDは旧東独で同じスローガンを掲げる。ただし「国民は移民や難民でなく、ドイツ人たるわれわれだ」という意味で、格差に不満を持つ旧東独の人たちの心をとらえている。

 ベルリンのミュラー市長は、壁崩壊から30年を記念する式典で「自由のために闘ったベルリンが、人種差別や反ユダヤ主義に対抗すべきだ」と訴えた。その通りだが、このためには旧東独の人々の心中に残る「壁」を取り払い、真の自由を実現することが重要だ。ドイツ政府は旧東独地域のインフラ整備などを進め、脆弱(ぜいじゃく)な経済構造を強化する必要がある。

 壁崩壊後、欧州諸国は欧州連合(EU)発足(93年)を皮切りに統合を加速させた。EUが東方に拡大する中、ロシアは2014年、ウクライナ南部クリミア半島を併合し、欧州とロシアの緊張が高まっている。

ドイツは安保面で責任を

 北大西洋条約機構(NATO)諸国の国防費負担の目標は国民総生産(GDP)比2%だが、ドイツは目標期限の24年までに、達成できない見通しだ。

 このことにトランプ米政権は不満を示している。ドイツはEUの盟主として、安全保障面でも相応の責任を果たす必要がある。

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