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「朝日新聞『亡国の系譜』―言論はいかにして国を滅ぼすか―」

世日クラブ講演要旨

「朝日的言説」が国滅ぼす

本紙「メディアウォッチ」コラムニスト 増 記代司氏

 世界日報の読者でつくる世日クラブ(会長=近藤讓良(ゆずる)・近藤プランニングス代表取締役)の定期講演会が先月19日、動画サイト「ユーチューブ」のライブ配信を通じて行われ、本紙「メディアウォッチ」コラムニストの増記代司氏が「朝日新聞『亡国の系譜』―言論はいかにして国を滅ぼすか―」と題して講演した。増氏は、戦前の朝日新聞の論調を「軍部と一緒になって世論を戦争へと煽(あお)った」と振り返り、「朝日的言説が戦後の平和ボケ言論空間をつくってきた」と主張した。以下は講演要旨。

平和ボケ言論を形成
イメージつくりレッテル貼る

 朝日新聞はいつも戦前の話を持ってきて、安倍政権が何かしようとすれば「戦前のようになる」「軍国主義だ」と言う。しかし戦前、満州事変につながる柳条湖事件の時、一番熱心に軍部を応援し、戦争に向かわせたのは朝日新聞だった。「日本軍の強くて正しいことを徹底的に知らしめよ」というのが1931年9月20日付の夕刊。満州事変、国際連盟脱退を煽り、日本はどんどん軍部が独走していく。政府はそれを抑えようとしたが、朝日新聞は軍部の動きを率先して支援した。日独伊三国同盟が結ばれた40年の7月13日付には「今後の外交を推進するにあたって没落国家群(米英仏)を対象にする訳には行かず、新興国家群(独伊)を対象の重要部門として選ばねばならない」と煽っている。朝日新聞は蚊帳の外で言論弾圧や新聞統制されていたわけではなかった。帝国日本を滅ぼしたのは軍閥や軍国主義だと言われているが、新聞も帝国日本を滅ぼした。むしろ主役だったと言ってもいい。

コラムニスト 増 記代司氏

 ます・きよし 昭和25年大阪府生まれ。世界日報の「メディアウォッチ」欄で25年以上にわたり新聞論評を執筆。主に朝日、毎日などリベラル紙の偏向報道にメスを入れる。掲載回数は約1300回。社会福祉士としてホームレス支援、原発避難者支援などに携わり、現在は病院の医療ソーシャルワーカー(MSW)を務める。

 終戦後、朝日新聞の一番大きなミスリードは、1951年のサンフランシスコ講和条約の時だ。占領下の日本がいかに独立を果たすかという時、朝日新聞は、「全面講和か単独講和か」とラベリングした。ここで言う全面講和はソ連や中国など共産圏も入れて講和条約を結ぶもの。単独講和は約50カ国と講和を結ぶもので、実際には単独ではなく多数講和だ。このような手法は今も変わらないが、文化人を集めて論議をうまく誘導した。49年2月15日付で、いわゆる進歩的文化人、つまり今の日本学術会議問題の根っこの人たちを集めて、「中立か国連加入」と書いて世論をつくり出した。そして50年5月20~22日付に、非武装中立、全面講和を主張する社説を3日連続で載せた。もしもこの当時全面講和なんてしていたらどうなっていたか。ソ連は北海道を占領しようとしていた。日本がドイツや朝鮮半島のような分断国家にされたかもしれない。当時の国際情勢を見たらサンフランシスコ講和条約しか選択肢はなかった。朝日新聞こそ眼界を広くしないといけない。

 次に日米安保条約だが、朝日新聞は中ソの安保条約反対論に同調して国会突入を煽った。60年1月、日本の政府全権団が日米安保条約改定のために出発した時に、お得意の世論調査をして「安保改定をどう見るか」という見出しで、38%が戦争を心配していると載せた。逆に言えば60%は心配していないということだが、「戦争に巻き込まれる」「子供たちを戦争に送るな」という日教組のキャッチフレーズに合わせて、心配だと見出しにしている。こういう見出しの付け方は今もやっている。同年5月21日の1面トップの社説では「岸退陣と総選挙を要求す」。これで闘争を煽った結果、国会突入事件が起こり女子大生が死亡するという惨事に至った。惨事が起きた途端、朝日は他の新聞に呼び掛けて、在京新聞社で共同社説、共同声明を作り議会制を守れと豹変(ひょうへん)した。

 もう一つ、今の中国報道に至る根本的な問題がある。日中記者交換メモという協定を交わして、共産化されていた中国に日本から記者を派遣できるようになった時代があった。その時66~76年の約10年間、文化大革命があり、この恐るべき出来事を毎日、産経、西日本、そして最初は朝日も書いていた。その後、日本の記者は国外追放されたが、朝日新聞の秋岡特派員だけが残った。当時の広岡知男社長の方針「書けば国外追放になるという限度があるだろう。その時は一歩手前で止まりなさい。極端なことを言えばゼロでもいい。書けなきゃ見て来るだけでもいい」という「歴史の目撃者」論によるもの。そして朝日は、自分たちが特派員として残りたいがために文化大革命賛美の記事を書くようになった。嘘(うそ)を書くような記者など歴史の目撃者でもなんでもない。ジャーナリストとは言えない。

 文化大革命の後に朝日が煽ったのが日中国交正常化だ。林彪事件というのがあったが、林彪事件を2年間も否定し続けて偏向報道を行った。秋岡特派員は林彪事件がないという連載記事を書いた。そして70年6月に大キャンペーン「安保と日中 国民はこう見える」、71年元旦「政府の姿勢 いまこそ転換を」、6月3日「『回復すべし』が圧倒的」、9月21日「すぐ正常化交渉を 63%」。このように煽って、72年の日中国交正常化まで持っていった。当時必要だったのは、中国の実態は何か、真実は何かだ。それを国民に伝えれば、日中国交正常化について賛成世論は増えなかっただろう。

 さらに北朝鮮の賛美記事を書いたのも朝日新聞だった。77年11月10日付の、拉致被害者の第1号になった三鷹市の警備員、久米豊さんが失踪した時の記事の見出しには「懐柔」という言葉が入っている。しかしこれは間違いなく拉致だ。その記事の5日後、11月15日に横田めぐみさんが拉致された。

 スパイ防止法運動が盛り上がった86年には、11月25日付の1面トップ、10・11面全面、22・23面を使って大特集を組んで、狂気的キャンペーンを張った。この時朝日新聞は、スパイ防止法制定に反対する議会が増えていると書いたが、実際には促進が208、反対はたった95だった。それから「秋田、長野両県で反対議決が上回る」とあったが実際には秋田は促進24、反対23、長野は促進24、反対21で上回ってない。

 注目の枠組みをつくり、状況の意義付けをし、イメージ環境をつくって、レーニン的手法でレッテルを貼る。安全保障関連法を“戦争法”、改正組織犯罪処罰法を“共謀罪”、死刑を執行した鳩山邦夫元法相を“死に神”と呼んだ。このようにラベリングするのが朝日的手法だ。

 現在朝日新聞が大体500万部くらい。読売新聞が一番多い750万部で、中日新聞、東京新聞が合わせて230万部。毎日新聞は212万部、日経が207万部、産経が128万部。政治的には自民党が選挙で勝ち、リベラル派は少数のように見えるが、言論で見れば圧倒的に朝日的言論が優位にあると見なければならない。そして“もう一つの朝日新聞”があるということを忘れないでいただきたい。それは共同通信社だ。2017年6月に成立した改正組織犯罪処罰法に関して、地方新聞の39社が反対して、1社のみが賛成していた。しかしよく見たら、反対している新聞社は全て共同通信の論説資料を使用していたのだ。中には見出しが同じものもあった。共同通信の社説に手を入れて使っている。地方紙は全国で約1000万部あり、今なお朝日的言説が日本を覆っていると言える。

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