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公開討論会の内容 佐喜真淳氏

《自己紹介》

普天間移設めぐりしのぎ削る 宜野湾市長選まであと1カ月

佐喜真淳氏

 私は1964年8月9日の生まれで今年51歳になりますが、36歳で市議会議員に立候補し当選しました。2期、市議会議員をやり、2期、県議会議員を務めてまいりました。さらに、約4年前、多くの方々のご支援を頂き、市長候補として立候補しました。その当時、「チェンジ宜野湾」というスローガンで、停滞する宜野湾市を変えなければならない。特に若い世代の方々、商工の方々のご理解を頂き、第16代宜野湾市長に当選させていただきました。

 私の基本的考え方として、生まれ育ったこの街に何ができるか何をしなければならないのか。あるいは、街のど真ん中にある普天間飛行場をどうするのか。今を生きている方々のために何があるのかを常に考えながら市政運営をさせていただきました。

 例えば二十数年間、地域の方々が望んでやまなかった基地周辺道路である市道11号線は、宜野湾、中原、愛知区の皆様方がこの道を作ってくれとひたすら願っていたにもかかわらず、20年以上できなかった。それは「政治の堕落」だと言っても過言ではない。道を作るために、4年間掛けて政府に対して粘り強く交渉して参りました。結果としてそれが先般、4ヘクタールの普天間の返還が可能となりました。それが基地周辺道路のスタートでございます。

 考え方としては、市民が望むことを政治あるいは行政の長としてしっかりと取り組む。停滞していたものをしっかり粘り強くやる。それが私のモットーであります。

 普天間の再開発、門前町構想にしてもそうであります。9年、10年近く止まっていたものを、政府に対して「これは普天間地域の活性化のために必要だ」ということを強く求めてまいりました。結果として、政府の中においても、地域が望むのであれば50億円ぐらいの予算をかけて再開発する。

 次に、真栄原地区の通称・新町という跡地利用もございました。残念ながら前市政の時は不法な店舗撤去することに傾注した結果、跡地に対して目が行き届かなかった。私は健康都市宣言宜野湾市にふさわしい総合健康福祉センターというものを政府に対してお願いして参りました。結果として1市に対して1つの事業しかできなかった基地周辺まちづくり事業の2つが認められ、これから先どんどん進めていきたいと思います。

 西普天間住宅地区が3月31日に返還されました。これが国際医療拠点として政府に返還したから終わりではなく、政府がしっかり宜野湾市の意向を聞いて、予算を掛けて制度をもってやっていただきたいということで、琉球大学医学部と同付属病院の誘致をスタートしました。

 おかげさまで今年の国の骨太方針にそのようなことがしっかりと明記されましたので、これか確実に待って、しっかりとやっていきたいと思います。

《基地問題》

 普天間飛行場の返還問題ですが、戦後70年が経ち、返還合意から19年、来年で20年になります。沖縄国際大学にヘリが墜落してから11年目になります。当時8万3千人だった宜野湾市の人口は、今では9万7千人を超すまでになりました。墜落ではかろうじて犠牲者が出なかった。しかし、今はいつ何時犠牲者が出るか分からない。

 私ども行政の方に市民からの声として「低空飛行をしている。今にも落ちそうだ。どうにかしてくれ」「気が狂いそうになる。子供たちが泣いてわめいている」と。そんな声が聞こえてきます。

 そして先般、宜野湾市の主だった団体、婦人連合会、青年連合会、自治会長会、PTA連合会ら9団体が宜野湾市の置かれている現状を含め、騒音問題、あるいは、経済的問題を含めて要請しました。「もうこれ以上、普天間飛行場の負担は限界である。一日も早く返還してくれ。その他の危険性除去、基地負担軽減をしっかりしてくれ」。それが宜野湾市民の底辺であるはずなんです。「一日も早く返還してくれ」というのは声だけではできません。日米両政府に対してしっかりお伝えしなければいけません。そういうことを踏まえたうえで、私は今回の選挙で確実に普天間飛行場が返還できるよう取り組んで参ります。

 あの普天間飛行場が返還されたら、480ヘクタールの跡地はこれから無限大の可能性があるし、宜野湾市だけでなく沖縄の未来をつくるものだと思います。私の好きな歌に「てぃんさぐの花」がございます。「宝の玉も磨かなければ光らない」。あのフェンスを取っ払って宝物を磨けるように子供たちのために尽くしていきたいというのが私の普天間問題の考え方でございます。

《有権者に対するメッセージ》

「真っ白なキャンパスに絵の具を」 普天間跡地利用で

 私自身が、生まれも育ちもこの宜野湾市であり、私ども家系としましてもそういうような家系でございます。政治家として、市長として、責任ある立場で責任ある判断をし、そして責任ある未来を作っていきたいというのが私の基本的なスタンスでございます。

 街づくり、人づくり、未来づくりというものを「宜野湾が一番」だからという精神に基づいてやりたいと思います。

 普天間飛行場問題というのは、もうすでに19年の月日が経ってまいりました。宜野湾市民が今も苦しんでいる、その苦しみを解放するのが私であり市長の役割であると思います。騒音問題、今でも落ちそうなヘリをみて、精神的苦痛を与えられている市民に対して、私はそれは政府に対しても米軍に対しても怒りをこめて、絶対あってはならないということを申し上げながら、生命財産、誰もが一つしかない命「命どぅ宝」というものを最優先にこの選挙戦を戦ってまいります。

 そして、私どもが未来を作らなければならない。その未来というのは明るい未来であって欲しいというのが私の希望でございますし、その中でのディズニーリゾート。そういうものが確実に実現をする。さらには、今ある生活をさらに充実させるために、私が手掛けた門前町構想、あるいは真栄原新町の総合福祉センター、20数年間止まっていた基地周辺道路、それを確実に出来るのはこの私しかいないんだと。佐喜真淳でしかできないんだということを市民の皆さまにもご理解賜りたいと思います。

 西普天間住宅地区においては琉球大学や同医学部付属病院も来ます。さらにはそこに普天間高校の移設等もございます。そのような夢がさらに膨らむようなことをやってまいりたいと思います。

 2020年には東京オリンピックが開催されます。51年前に東京オリンピックが開催された時、沖縄から聖火リレーがスタートされました、あの当時、沖縄はまだ米軍統治下です。時代というのは繰り返されますけれども、私はそこから聖火リレーは普天間からさせようと思ってます。

 それは舛添(東京都)知事や政府に対してもお願いをし、可能性としても大でございますから、そのスタートをさせ、オリンピックの記念であり、あるいは返還された後の記念、そして未来を作る羅針盤のような、灯台のようなタワー「万国津梁の塔」を建てる。それは150メートルぐらいあれば太平洋も東シナ海も見えます。

 そういうことを考えながら子供たちが明るい未来を作れるような、真っ白なキャンパスに絵の具を入れられるような、フェンスを取っ払うのがこの私、佐喜真淳だということを理解し全力で取り組んでまいります。

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