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「平和の礎」刻銘戦没者は水増し、発案者の上原正稔氏が指摘

あす沖縄「慰霊の日」

 23日は組織的な沖縄戦が終結した日。沖縄県は、沖縄戦全戦没者追悼式典を正午、糸満市摩文仁の沖縄県平和祈念公園で開く。戦没者名を刻んだ糸満市摩文仁の「平和の礎」に、2019年度は新たに42人が追加刻銘され、刻銘者総数は24万1566人となった。そのうち、沖縄県出身者は約15万人に上る。

平和の礎

「平和の礎」に沖縄戦などの犠牲者名の刻銘板を取り付ける作業員=17日午前、沖縄県糸満市

 「平和の礎」発案者で戦争ノンフィクション作家の上原正稔氏はこのほど、県庁で記者会見を開き、「平和の礎に刻まれている刻銘者の過半数は沖縄戦と関係のない人々で、沖縄戦で亡くなった県出身者は5万5千人程度。意味もなく、県民の犠牲者を増やす嘘はやめてもらいたい」と訴えた。

 平和の礎は、「世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑『平和の礎』を太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設する」という趣旨で1995年に建設された。

 県出身者の刻銘対象は、①満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外において戦争が原因で死亡した者②45年9月7日以後、県内外で戦争が原因で1年以内に死亡した者――と規定されている。

 沖縄県生活福祉部は96年、沖縄戦犠牲者は20万656人と発表。総務省もこの数字を採用している。

 戦後、国は、軍人・軍属の遺族を支援するための「戦傷病者戦没者遺族等援護法」で、民間人までも「戦闘参加者」と位置付け、約5万6千人の沖縄県民が援護の対象となった。上原氏は、この数字をもとに、「嘘の申請をした人を差し引けば、県民の犠牲者は5万5千人を上回ることはない」と断言した。

 また、戦前の昭和19年の人口と戦後の昭和21年の人口を勘案して、一般県民の約9万4000人が犠牲になったと推計されていることについて、上原氏は「戦前に本土や台湾に疎開してしばらく帰らなかった人が多いことが一切考慮されていない乱暴な数字だ」と批判。離島の粟国村を例に、「満州事変から戦後までの粟国村出身者を刻銘した結果、沖縄戦における20人弱の戦没者が601人に膨れ上がっている」と指摘した。

 上原氏は今年3月、県議会に正しい戦没者数を把握するよう意見書を提出。5月には、政府宛てにも同様の意見書を提出した。

 (沖縄支局 豊田 剛)

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