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ずさんな『新沖縄戦』、両軍トップ戦死の日付に誤り

バックナー中将の慰霊碑

 「集団自決」という言葉は伊佐(大田)良博氏が『鉄の暴風』の中で初めて使用したもので、それまで「玉砕」と当たり前のように使われていた。実際、今でも渡嘉敷島では「第1玉砕場」とか「第2玉砕場」という呼び名が使われている。ところが記念碑には「集団自決の碑」と刻まれ、「玉砕の碑」の表記は使いづらくなっている。筆者も今さら「玉砕」という言葉を使えず、本当に困っている。だから、カッコ付きの「集団自決」で前に進もう。

 『新沖縄戦』はバックナー中将の戦死について、砲撃で死んだのか、日本兵の狙撃兵が撃ったのか、両論があるとしている。これについては筆者は徹底的に調査して、石原正一郎大尉の部隊の最後の砲弾が岩に当たり、破片が胸を突き、その10分後に死亡した感動的な物語を既に発表している。戦死の日時は6月18日午後1時25分だ。だが、吉浜忍編集長は「6月19日戦死」として記している。


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