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米軍が渡嘉敷上陸、避難壕に逃げ込む住民

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 渡嘉敷村史と沖縄県史10巻、陣中日誌からウァーラヌフールモーの惨劇を追ってみよう。

 3月23日午前10時ごろ。数十機の爆撃機が渡嘉敷上空に姿を見せた。住民も兵士もそれが米軍機だと気付くものはいない。突如、空襲が始まり、民家や陣地に爆弾と焼夷(しょうい)弾が落とされ、至る所で山火事が発生した。延べ300機の空襲は午後6時まで断続的に続き、島は大混乱に陥る。住民は麓など各地に用意していた避難壕(ごう)に逃げ込み、陸戦になじみのない第3戦隊の兵士らはわずかばかりの銃兵器で対空射撃を試みたが、この日戦死者11人、負傷者10人を出し、散々な日となった。これが沖縄戦の始まりとなった。

 3月26日。早朝、慶良間に集結した敵(ブランデー提督)の艦隊は慶良間各島に猛烈な艦砲射撃を加え、第77歩兵師団が慶留間、阿嘉、座間味の島々に上陸した。渡嘉敷島の大町大佐が島を脱出する機会は失われた。


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