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渡嘉敷島で聞き取り、赤松隊長への誤解解消へ

渡嘉敷島

 1995年の春と夏、渡嘉敷島を訪ね、「集団自決」の生き残りの人々や関係者から情報を集めた。自決を生き延びた金城武徳さんに自決現場に案内してもらった。そして、海上挺身第3戦隊の陣中日誌を金城さんから入手した。後に大城良平さん、比嘉(旧姓安里)喜順さん、知念朝睦さんらから貴重な情報を入手することができた。

 第3戦隊陣中日誌は、「3月27日。第1中隊は本隊に合流すべく阿波連を撤収、渡嘉志久高地に上陸せる敵に前進を阻止せられ、2、3度切り込み突破を行ふも前進不能となり!」と記録している。

 阿波連の集団自決については前記のように記録している。

 渡嘉敷では「恩納ガーラ」(ガーラは「河原」の意味)と阿波連の川の上流で二つの「集団自決」があったことになる。


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