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米兵が記した惨劇、阿波連で100人以上が自決

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 グレン・シアレス伍長は、手記でこう綴(つづ)る。  <1945年4月27日夜明け、俺たちは渡嘉敷の最南端の浜に上陸し、山の小道を登る途中で3人の日本兵を射殺し、目的地に着くと信号弾を打ち上げ、味方の艦隊の砲撃が始まった。(中略)

 山を下りて「阿波連の村を確保せよ」との命令を受けた。その途中、小川に出くわした(阿波連のウフガー上流)。川は干上がり、幅10メートル、深さ3メートルほどの川底のくぼみに大勢の住民が群がっている。俺たちの姿を見るや、住民の中で手榴弾(しゅりゅうだん)が爆発し、悲鳴と叫び声が谷間に響いた。想像を絶する惨劇が繰り広げられた。大人と子供、合わせて100人以上の住民が互いに殺し合い、あるいは自殺した。俺たちに強姦(ごうかん)され、虐殺されるものと狂信し、俺たちの姿を見たとたん、惨劇が始まったのだ。


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