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社会を覆う不寛容 SNSで世論煽る知識人

「別姓」反対=悪の独善思考

 自民党の「選択的夫婦別氏(姓)制度を早期に実現する議員連盟」が25日、設立総会を開いた。一方、来月1日には反対派議員が旧姓の通称使用拡大を促進する議員連盟を発足させる。翌日には、党のワーキングチームも初会合を開く。社会の根幹である家族の在り方に関わる問題だけに、推進派と反対派が激しい論争を繰り広げそうだ。

 先月のこの欄では、いわゆる「森発言」をきっかけに巻き起こった「ジェンダー平等」問題を取り上げたが、別姓問題をはじめとした女性政策への注目が高まっていることから、今回も左右の思想の違いが際立つ、この問題を取り上げる。

 まず、「森発言は完全にステレオタイプに基づく性差別」と断じたのは、東京大学大学院教授の瀬地山角(「東大の大人気『ジェンダー論』発『森発言のどこが悪い』派も『辞任は当然』派も必読講座」「中央公論」4月号)。「男女平等」を謳(うた)うオリンピック憲章の理念を具現化させるべき立場の森喜朗・東京五輪・パラリンピック組織委員会前会長の発言は明確にそれに反したというのだ。ユーモアを交えた森の発言がTPOへの配慮が足りなかったのは事実だから、批判は許容範囲としても、気になったのは次の部分だ。

 新たに同組織委会長に就任した橋本聖子に代わって、男女共同参画担当相になった丸川珠代について、「元五輪相で、女性でという意味では無難、と思っていたら、なんと選択的夫婦別姓反対派とのこと。男女共同参画担当相は外すべき」だと訴えた。

 別姓実現を求める意見書採択を阻止する文書を、保守系議員との連盟で自民党系地方議員に送った丸川に対しては、野党議員も激しく攻撃したが、別姓反対派であることが、なぜ男女共同参画担当相の資格に欠けることになるのか。瀬地山はその理由を説明していないが、別姓反対=悪とする独善的な思考パターンや昨今、日本の社会を覆っている異論を認めない不寛容の空気を、この論考にも感じる。

 これに対して、歴史学者の與那覇潤は「Voice」4月号で行った社会学者の開沼博との対談「日本文化論の欠落が最大の『盲点』」で、「知識人とは本来、『盲点=普通の人が見過ごしてしまう問題』を指摘することが役割だったのに、いまはそうなっていない」としながら、「SNSでも言論人がみな『応援団長』と化して、世論と同じ内容を『大声で叫ぶ』ことが仕事だと思われている」と鋭い指摘を行っている。

 その直近の例として、森発言で「大衆と一緒に『(会長を)辞めろ』としかいわない。どうして彼のような一見『女性排除』的な人が、他面では『根回しと気配り』で政財界を差配する人心掌握(しょうあく)の達人であり得たのか。そこまで掘り下げて、より問題の根源からの議論を呼びかけるような動きは目にしません」と指摘した。知識人でさえもSNSを使い世論を煽(あお)ったり、異論封じを行って満足しているようなら、ネット時代における論壇の質低下は避けられまい。

 一方、自分と違った意見を持つ人物に対して激しい攻撃を仕掛ける排他的風潮の背後に、従来の価値観を打破することを狙う左翼の革命勢力があることを指摘したのは、ジャーナリストの門田隆将だ。

 「WiLL」5月号の論考「『寛容』が消えた日本はどこにいくのか」の中で、門田はSNSのツイッターを中心に「森喜朗氏への集団リンチ事件、総務省接待疑惑などで、常軌を逸した攻撃が起こった」ことについて、「日本の美徳でもある『寛容』が消えつつあることを示している」と、わが国で文化破壊が進んでいることに警鐘を鳴らした。そして、「誰がこれらを煽動しているのか。ツイッターを追っていくと、見事なまでに左翼勢力のアカウントに行きつく」ことも明らかにしている。

 女性活躍、シングルマザーへの支援、LGBT(性的少数者)理解推進などに力を入れて、「左翼に堕落した」と批判されているという衆議院議員で元防衛相の稲田朋美は「日本の政治に対する意識がいかに遅れているのか」と嘆くとともに、「保守の真骨頂は『寛容さ』です……一方的な正義を振りかざし、議論を封じ込める態度は、保守とは決して言えません」と説く(「女性差別反対はサヨクですか」「文藝春秋」4月号)。その保守の寛容さは美徳かもしれないが、その隙を突いてくるのが左派の排他的な女性政策だということを忘れるべきでないだろう。

 「WiLL」で現在の別姓論議に対する「違和感」を分析したのは日本会議会員で、2017年の衆院選に立候補した経験を持つ橋本琴絵の論考「丸川珠代イジメ――暴走するジェンダーフリー」だ。

 2000年代初め、「男らしさ女らしさ」などの性差を否定するジェンダーフリー思想が社会に広がり、幼稚園から性行為を教えるなどの過激な性教育が行われた。このため、政府はジェンダーフリーの用語使用を否定する事態になった。この時、この思想に心酔する勢力は別にして、一般の人からは政府の方針に強い反発は起きなかった。

 人間は最も性差を持つ種族だから、それを否定する思想には自然、違和感を持つ。「言い換えれば、私たち人間は現実世界と合致しない超越した観念に違和感を強く覚える」(橋本)のである。

 別姓推進論者は、先進国で夫婦同姓を採用するのは、唯一日本だけだとして、別姓を受け入れない日本は「ジェンダー平等」の基準からは「後進国」だと主張する。しかし、橋本はイギリス留学時代、「日本では法律で生理休暇が認められている」「毎週水曜日は映画館で女性は入場料の割引がされる」など、日本の女性諸事情を説明すると、どこの国の人々も驚愕(きょうがく)したという。日本はそれだけ女性を大切に扱う国というわけだ。

 また、橋本は世界各国が別姓を採用する理由を次のように説明する。海外で別姓が採用されているのは、女性が結婚後も生家の氏を名乗る「入婿」の制度が存在しないための措置。これに対して、「わが国では婚姻時に夫婦どちらの氏を名乗ってもいいとする『選択的夫婦同姓』であることを紹介すると、これもまた驚愕されたのである。国際的な視点でみれば、わが国は明らかに女性を大切に扱っている」。

 また、「夫婦同氏」は、743年に墾田永年私財法が施行されて以降、「夫婦が共同して開墾した名田の名称を自らの『名字』すなわち氏とし、また自らの名を土地の名称とした」のだから、夫婦同氏は男女共同参画の家族観を表しているのだという。

 それは昔の話だろうと、反論が出そうだが、海外の事情や夫婦同氏の歴史的経緯に照らせば、別姓に反対する丸川に男女共同参画担当相の資格がないというのは、明らかに異論を認めない排他的言説である。

 「ジェンダー平等」を掲げて日本の後進性を強調したがる知識人が使う指標に、世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」がある。一昨年はそれが153カ国中121位だった。では、日本女性の幸福度と国家レベルはそんなに低いのか。

 哲学者のマルクス・ガブリエルは「Voice」のインタビュー「日本は『世界一』の倫理国家だ」の中で、「SNSには国を破壊する可能性もある」と警告しながら、国のレベルは経済力ではなく倫理的な基準で付けるべきだとして、次のように語る。

 「街がきれい、自由な社会、食べ物のおいしさ、民度といった倫理的な価値観から総合評価をすべきです。このような基準で各国を評価するとすれば、日本はsuper high up(ダントツ)です」

 ジェンダーギャップ指数を金科玉条のごとくに持ち出す知識人の言説は底が浅いと見た方がいい。

(敬称略)

 編集委員 森田 清策

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