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「縄文遺跡群」の世界遺産登録勧告、宗教や芸術からの視点を欠く各紙

◆常識をひっくり返す

 「ああ、何のために人間はいるのか。発信しよう、激しい愛を。青さのむこう、昼の空の星にまで。発信ゆんゆん、発信ゆんゆん…」

 こんな風変わりな歌詞の高校校歌がある。「宇宙の奥の宇宙まで」。題名も変わっている。福島県立清陵情報高校の校歌で、作詞は詩人の宗左近さん、「縄文人」と呼ばれた人だ。青森県の三内丸山遺跡など17で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されるというので宗さんを思い浮かべた。

 縄文時代はマルクス主義者らによって長く「原始共産社会」として描かれてきた。定住せず、狩猟・採集の移動生活。集落があっても、せいぜい5、6軒の竪穴住居。階級なき平等社会。それが「縄文の常識」とされた。

 ちなみにマルクスは生産力が発展すると、富める者が貧しき者を支配する階級社会に移行し、その後に革命を経て「共産社会」に至るという唯物史観を描いている。

 ところが、三内丸山遺跡はその常識をひっくり返した。大量の出土品(段ボール4万箱以上)、柱穴直径2メートルの大型掘立建物跡、約500棟の竪穴住居跡、周辺一帯の栗栽培、墓域に至る参道、十字形の板状土偶…。「巨大木柱は神殿。遺跡はそれを中心に形成された縄文都市」(哲学者、梅原猛氏)だった。

 今回、ユネスコは「先史時代の農耕を伴わない定住社会と複雑な精神文化に加え、定住社会の発展段階やさまざまな環境変化への適応を示している」と評価した。だが、宗さんが健在だったら、こう異議を唱えるだろう、「発展段階とか環境変化への適応とか、そんな唯物論的な見方で縄文を論じるな」と。

 かねてから宗さんは唯物論者の多い考古学者を批判してきた。第一に縄文土器を芸術として受け取らない。いくら科学的に絵の具を研究してもゴッホの芸術を理解できないように科学だけでは縄文土器の価値は分からない。第二に遺跡から宗教を感じ取らない。縄文人を呪術しか持たない精神的に未発達段階と差別している。第三に縄文人の精神世界を日本人の母胎(ルーツ)として見ようとしない。

◆リベラル紙はスルー

 宗さんの視点で新聞を見渡すと、いかにも物足りない。宗教や芸術にほとんど触れていないのだ。社説では北海道新聞(5月28日付)、デーリー東北(同30日付=青森)、河北新報(6月3日付=宮城)の地元3紙と、読売(5月28日付)、本紙(同29日付)、産経(6月6日付)が取り上げている。朝日、毎日、東京のリベラル紙はスルーだ(6日段階)。日本の「文明史的意義」(本紙)や「縄文時代の輝き」(産経)がお嫌いなようだ。

 朝日のネット教育版「EduA」4日付に元朝日記者の一色清氏が「縄文遺跡群が世界遺産へ ↓ 先史時代はザクっと覚えよう」と、中高校生らに高説を垂れている。

 「(旧石器時代の後)土器が発達し、縄文時代には定住が始まり、弥生時代には稲作が始まった。そして、貧富の格差が生まれ、今から1800年くらい前から豪族が支配する古墳時代に入った」

 ここにも宗教や芸術の話はない。マルクスに倣って「貧富の格差」が生まれ「支配する」時代に移るという唯物史観を描いている。こんな嘘(うそ)っぱちの話をザクっと覚えて何になるのか。

◆形を変えた自虐史観

 一色氏も土器を単なる煮炊きの道具、生活実用品としか見ていない。だが、縄文の土器はほとんど焦げていないし、実用的でない飾りが過剰に付いている。宗さんによれば、縄文の土器は「大自然を動かしている基本の力、神への賛歌の表現」で、すべて祭器だ(『縄文物語』新潮社)。芸術家の岡本太郎氏は火焔(かえん)土器に感動し、「芸術は爆発だ」の名言を残した。

 歴史は神話や芸術から教えるべきだ。無機物の石器や土器の話から日本史を始めるから子供たちは歴史嫌い、日本嫌いになる。これも形を変えた自虐史観と言うべきか。

(増 記代司)

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