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常軌逸した森叩きに違和感示し思考放棄の後任選びを叱責した新潮

◆言い方間違えた森氏

 いつの間にか「女性蔑視(べっし)」発言問題が、単なる個人攻撃に変わって、それがなかなか収まらないことに“おかしさ”を感じている人は少なくないだろう。森喜朗前五輪組織委員会会長のことだ。

 「女性がいると会議が長くなる」の一言が瞬く間に世界中に広がり、森さんは大役を辞するまでになった。当初、国際オリンピック委員会(IOC)も森さんの謝罪で幕を引きたかったようだが、「日本大嫌い」の米紙ニューヨーク・タイムズと、「日本より中国大好き」のドイツの駐日大使が「それはならじ」と音頭を取って世界中に火を点(つ)けた。その“お手柄”で会長交代とその後のドタバタ劇になったのである。

 森さんは言い方を間違えている。「話の長い人がいて、会議が長くなる」と「女性」を単に「人」にしておけばよかったのだ。話の長いのは男女関係ない。

 ただ、そこに「男性は話の要点をまとめて、分かりやすく話す」が、女性は「いろいろ対抗意識もあって、要点のまとまらない話を長々とやる」という“認識”があったとするなら、「女性蔑視」と言われても仕方ないだろう。これはもうアウトだ。

 それでも、この際メディアは一切語らないが、森さんの功績には大きなものがあることを忘れてはならない。要石(かなめいし)として、政府、都、自治体、競技団体、スポンサーなどをまとめて、コロナ禍の中で多くのボランティアを集めながら大イベントを成功させようとしていた。それを今は「一切なかった」ことのようにして叩(たた)いている。

◆重視すべきは交渉力

 この“おかしさ”を代弁してくれたのが週刊新潮(2月25日号)だ。「水に落ちた『森喜朗前会長』袋叩きのイヤな感じ」の記事である。同誌は「無論、時代錯誤の森発言を擁護することはできず、(略)森氏の『愚かさ』は指摘」してきたが、「森叩きこそが正義なのか」と「今の社会の在り方に違和感を覚える」と主張する。同感だし、この角度はいかにも新潮らしい。

 「一連の森バッシングは常軌を逸している」として、お笑い芸人の「リンチ」まがいの差別的な批判、それが出てくる背景に「反人権派の人権、存在は認めない」「正義である自分たちをあたかも裁判官であるかのように位置づけ」る不寛容さがあると説く。

 森叩きを「世代間闘争」と見た意見には少し首を傾(かし)げる。「ノンフィクション・ライターの窪田順生(まさき)氏」だが、「若い人の『老い』への忌避感や嫌悪感(略)がコロナ禍によって増幅した」「森さんは“悪しきジジイ”の象徴となり、怒れる若者のサンドバッグになってしまった格好」という解説はどうだろうか。森叩きは「世代」差よりも「リベラル」か否かだと思うのだが。

 それよりも、同誌は後任選びで「『女性か若い人』という思考放棄の薄っぺらな解決策」を導き出した政治を叱責しているのはいい。さらに「この紙よりもペラッペラに薄く、魂胆が畳(たたみ)鰯(いわし)くらいに透け透けの浅はかな策」とこき下ろしており、そこに同誌の怒りと呆(あき)れがにじむ。

 「元NHK解説委員で、法政大学の山本浩教授」はいいことを言っている。人選においては「性別や年齢といった属性ではなく、『スポーツ政治』を理解していて、IOCとタフな交渉ができるかどうか」であり、「無観客にするのか否かなど懸案が山積するなかで、強気の主張をしてくるに違いないIOC相手にいかに渡り合えるか」が重要だと強調する。的を射た指摘だ。橋本聖子氏がその基準で選ばれていることを祈るしかない。

◆身の丈に合う議論を

 今回、森批判を繰り返したメディアやリベラル派は、肝心のことを忘れてはいないだろうか。「女性」問題がこれで一歩でも改善に向かって動き出したのだろうか。その議論をしたのだろうか。欧米の物差しを無批判に妄信して、サイズの合わない着物を着ても、着心地が悪く、みっともないだけだ。正しい方向に進展の余地を残した身の丈に合った議論をしよう。それにしても新潮はいつも目の付け所がいい。

 (岩崎 哲)

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