ワシントン・タイムズ・ジャパン

子供の未来ではなく、国の未来が優先された「道徳の教科化」

 学校の教員の長時間労働や一人当たりの負担が大きすぎるという問題が深刻になってきているなか、小中学校では来年度以降、またもや教員の負担が増す「道徳の教科化」が定められました。現在、小中学校では週1時間道徳の授業が設けられているのですが、小学校では2018年度、中学校では2019年度から「特別の教科」として道徳が教えられることになります。なぜ今、道徳の授業が変わるのか、道徳が教科化されることでどのように教員の負担が増えるのか、調べてみました。

●「特別の教科」としての格上げ
 これまでの道徳の授業は、「教科外の活動」という位置づけで、他の教科の補修に充てられるなど、教員によって取り組みに差がありました。また、教材としての副読本は国の検定を受けておらず、他の教科のように評価をすることはありませんでした。
 道徳が教科化されることにより、年間35時間、週1回程度の授業を確実に行っていくことになり、教科書も国が検定した教科書に変わります。既に民間の出版社8社が国の検定を受け、一部の記述を修正した上で全て合格しています。教科書には、細かく定められた内容の項目に応じて、「家族愛」、「誠実」、「国や郷土を愛する態度」などを考えるための教材が掲載されています。このような内容の教科書が使われますが、道徳専門の教員免許は設けず、指導はこれまでと同様に原則、学級担任が行います。

 また、これまで行われなかった評価が導入されるようになります。ただ、主要教科のように段階ごとや数字での評価ではなく、総合的な学習などと同様に、記述式で教員が評価を書くことになります。文部科学省では新しい道徳の教科を、一般の教科とは異なり「特別の教科」として道徳を格上げしたのです。  
 2007年にも道徳の教科化が提言されましたが、その時は「子供の道徳心に成績をつけるのはいかがなものか」という意見が多々あり、見送られました。しかし、2011年に大津市の中学生がいじめを苦に自殺した事件をきっかけに、道徳教育の大切さがクローズアップされました。2013年に、いじめ問題などへの対応策をまとめた政府の教育再生実行会議の提言で、道徳の教科化が打ち出され、2014年には、文部科学相の諮問機関の中央教育審議会が道徳を特別の教科とすることを答申し、道徳が教育化されることとなったのでした。

 道徳の指導はこれまで同様、担任の教員が担当するのですが、教科化され、評価もつけないといけなくなり、教員達からは戸惑いの声が上がっています。まず、教科書の内容を軸にして、どのように授業を組み立てていけば良いのかという点。教材の例として、ベトナムから来た転校生が寂しそうにしている一方で、主人公の女の子が転校生のことを気遣いながらも言葉の壁を感じて、なかなか声をかけられないという物語があったとします。しかし、外国にルーツのある子供たちが増える中、クラスによってはこの物語が適さないのではないかという指摘が教員の中から上がっています。クラスにいる外国籍の子供たちが、自分たちのことを言っているのかと意識してしまい、道徳の授業を行うことによって子供を傷つけてしまうことになるのではないか、心配だという教員もいるようです。また、「家族愛」という項目を母子家庭や父子家庭の子供もいる中でどう教えられるか、配慮が必要だという声も上がっています。教科書ができても、内容がクラスの実情にふさわしいのかどうか、慎重に吟味する必要があり、教科書に沿って授業を組み立てていくだけでは成り立たないという実情があります。

 授業を組み立てるだけでも悩ましいですが、さらに教員を悩ませるのが評価についてです。道徳の授業を通じてどれだけ「誠実になった」か、どれだけ「思いやりが芽生えた」かは、他人から見て分かるものではなく、それを評価すれば教師の価値観によって子供の人格が評価されることにつながってしまいます。あくまで授業への取り組みの様子を丁寧に見て、子供たちがどのように道徳性を学ぼうとしていたかを評価するということです。しかし、それはいったいどのようにして評価し、記述すればいいのでしょうか。現場の教員達は戸惑い、頭を悩ませているようです。

●国が管理する教科化された「道徳」
 道徳教育が必要だということには賛成ですが、道徳教育を国が管理することには賛成できかねます。子供たちが学ぶ道徳の項目として、「節度 節制」「個性の伸長」「礼儀」「友情 信頼」「勤労 公共の精神」「国や郷土を愛する態度」など全部で22項が指定され、国が検定した教科書を使ってこれらの項目について考え、議論するという方針です。これでは戦前の道徳教育と同じく、国の教育統制、価値観の統制がされ、型のはまった授業をするしかない状況になるのではと懸念されます。

 現代の青少年犯罪やいじめ問題、モラルの低い大人が起こす事件などを考えると道徳教育は必要だと思いますが、それらの主な原因は家庭にあって、学校の教育にあるのではないように思えます。一番教育すべきは、これから先を担う子供達ではなく、現在の社会を担っている大人達、そして子供を持つ親達でしょう。倫理や道徳は人格の基礎となり、個々人の生き方に深く関わってくることです。道徳は、社会に出た大人が社会経験を通して学んだことを子供達に教えるもので、人それぞれに違う価値観があって、こうするべきだということが必ずしも正しいとは限らないという多様性を教えるものだと思うので、国が管理することではありません。道徳の授業を国が管理するということは、国が、日本人としてこうあるべきだという、日本人としての狭い価値観で子供達の人格を形成しようとしている気さえしてきます。

 道徳を教科化するのであれば、国が検定した教科書だけではなく、これまでと同様多様な副読本や教材から選択して、子供たちがこれから大人になるにつれてぶつかるであろう多様な価値観の壁を想定して議論しあったり、将来の自分の姿などを想像して夢を持たせるようにしたり、子供達が社会に出ていくための準備をする授業の場としてもらいたいです。社会というものがどのような世界なのか、学生であることがどれほど価値が高いのか、勉強がなぜ大事なのか、そのようなことを教わる機会があったらと大人になった今、思います。人格を形成する上で重要な道徳の授業を有効的に使うのであれば、モラルや国の価値観を押し付けるのではなく、子供達の未来を考えた教育をする場として道徳を教科化してもらいたいものです。

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