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非常時だからこそ「密」になる心の交流

 コロナ禍のような非常時になると、肉親や友人との交流が「密」になる。と言っても、いわゆる「3密」と呼ばれる、物理的な距離や空間・時間における関係ではなく、心の交流のことだ。

 「まだ電車に乗ることあるの?」――。東北に住む姉からの電話を取った時、彼女が真っ先に発した言葉だ。「テレワークが増えたから、頻度は減ったが、電車に乗ることはある」と、正直に答えた。それに対して、「ああ、怖い!。とにかく気を付けてね」と、ウイルス感染を心配してくれた。受話器を持ちながら身震いする姉の様子が目に浮かび苦笑してしまった。

 兄弟たちが住む県では、これまでの累計感染者は100人に達していない。毎日のように100人を超える感染者が出て、人影が消えた都心の様子をテレビで見れば、東京の人間はさぞ恐怖に震えながら暮らしているのだろう、と想像するのも無理はない。弟の身を案じる姉の優しさが伝わり、うれしかった。

 「毎日、どうしてる? 何か必要なものはないか。と言っても、送れるものは米ぐらいなものだけどな」――。今度は実家で農業を継ぐ兄からの電話だ。「大丈夫だよ。スーパーは開いているし、不自由してないから、心配しなくていいよ」と応えたが、まだ電車に乗っていることに驚くのは兄も同じだった。

 それから間もなくして、米が20㌔も届いて、こっちが驚いた。単身赴任の身だから、とても食べ切れない。知り合いにお裾分けすることにした。

 コロナ禍になって、家族間のLINE交流も増えた。私が「マスク、手に入ったから、誰か必要な人はいる?」と流せば、教師をしている長女が「今はあるけど、足りなくなったら困るので、送って!」と返してくる。妻が「体温計ある?」と聞けば、それぞれ独り暮らしをする3人の子供たち全員が「ある!」と応える。たわいのないやりとりが続くが、非常時だからこそ密になる心の交流だ。

(清)

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