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「ゆとり教育」の核心

 入学シーズンだ。大きなランドセルを背負ったちびっ子たちの姿はほほ笑ましい。そのランドセルの傾向として、軽量化が進んでいる。「脱ゆとり教育」で教科書が厚みを増して重くなったからだとか。教科書の厚さだけを見れば、脱ゆとりが定着したように思えるが、実態はどうか。

 官僚時代、「出会い系」バー通いをしていた前文部科学事務次官が公立中学校で講演したことに関して、文科省がなぜ講演者に選んだのか、などと学校に問い合わせたことが、一部のメディアで大問題として報じられた。前事務次官の講演に使われたのがゆとり教育の柱として導入された「総合学習の時間」だ。

 それまでの学習内容を3割削減する学習指導要領が実施され、ゆとり教育が本格スタートしたのは2002年4月。その直前、「ミスターゆとり教育」と言われた寺脇研氏にインタビューした。教科書を使わない総合学習では「教師の力量」が問われるのではないか、と質問した筆者に対して、「教師の力量もある程度必要だが、むしろ子供の力量、あるいは子供を取り巻く親や地域社会の力量が問われる」と、寺脇氏は強調した。

 総合学習は教科書を使わないことから、過激な性教育を行ったり、左翼的な「平和教育」を行ったりするケースも出ている。前事務次官を学校に招いたのは校長だった。ゆとり教育と言えば、学習内容の削減にばかりに目が行くが、その核心は偏向教育に利用されやすい総合学習である。

 「生きる力」を育むという、ゆとり教育が掲げた方向性自体は間違っていない。総合学習の時間を生かして子供の心を豊かにすることもできるが、そこでは教師の質が問われる。偏向教育の場として利用されないよう、保護者による監視も必要である。子供の教育に対して最終的に責任を負うのは、保護者であることを忘れてはならない。(森)

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