ワシントン・タイムズ・ジャパン

志賀直哉・没後50年 「流行感冒」NHKがドラマ化

「小説の神様」からメッセージ
コロナの時代に贈る

NHK特別ドラマ『流行感冒』で、志賀直哉と思われる主人公を演じる本木雅弘(右)と夫人役の安藤サクラ(NHKテレビより)

NHK特別ドラマ『流行感冒』で、志賀直哉と思われる主人公を演じる本木雅弘(右)と夫人役の安藤サクラ(NHKテレビより)

 白樺派を代表する作家、志賀直哉が亡くなって今年で50年、命日の10月21日が近づいている。没後50年を機に、大正4年から8年間居住し住居跡が保存されている千葉県我孫子市では、志賀の書斎の保存のためのクラウドファンディングが開始された。ただ、彫琢(ちょうたく)された無駄のない文章、目に浮かぶような鮮やかな描写で「小説の神様」と称えられた直哉なのに、大手出版社や文芸誌で目立った記念出版や特集が見当たらないのは寂しい。

 そういう中、この春、NHKが直哉の短編『流行感冒』をドラマ化し放送した。ドラマ化の切っ掛けは、「スペイン風邪」の流行を題材にした直哉の作品に、新型コロナウイルスの感染拡大で苦しむ現在に通ずるものがあることからで、没後50年を記念したものではない。しかし、結果的に、多くの日本人がその文章に触れることの少なくなった志賀直哉という希有(けう)の作家を思い起こし、その心に触れる切っ掛けを提供した。そういう点で没後50年にふさわしいドラマといえよう。

志賀直哉=新潮日本文学アルバム「志賀直哉」から

志賀直哉=新潮日本文学アルバム「志賀直哉」から

 大正8年発表の『流行感冒』は直哉の我孫子時代の物語。以前に病気で子供を亡くしたこともあり、スペイン風邪が娘にうつりはしないかと神経過敏になっている直哉と妻や女中とのやりとりをテーマに描かれる。岩波文庫『小僧の神様 他十篇』の直哉自身の「あとがき」には、この作について「事実をありのままに書いた」とある。

 志賀作品を原作とした映画やドラマは、伊丹万作監督『赤西蠣太』(昭和11年)などがあるがそう多くない。昭和43年、安岡章太郎が脚本を担当し毎日放送制作のテレビ・ドラマ『清兵衛と瓢箪』が作られるが、安岡はこの物語に『大津順吉』などから引っ張ってきた話を盛り込んで脚本を作った。結果、「『清兵衛と瓢箪』のすがすがしさとは似ても似つかぬ生臭い男女がのたうちまわる愛欲のドラマになっていた」(安岡章太郎)のである。

 これに懲りた志賀は「死后、作品をくづさぬようにして貰ひたい。例えば芝居にするとか映画にするとか、又はテレビにするやうな場合、幾つかの作品を混合して一つにするやうなことは一切やらぬやうにすべし」と遺言で家族に言い渡した。

 そういう意味でも、『流行感冒』のドラマ化は記念すべきことと言っていい。実際、志賀の遺言は守られたかというと、その意図するところは概(おおむ)ね守られたようだ。1時間15分のドラマは我孫子時代のスペイン風邪の罹患(りかん)体験を基にした原作をかなり忠実に再現したもので、ほとんど他の作品を混合するようなところはない。長田育恵の脚本で主人公の志賀直哉を本木雅弘、康子夫人を安藤サクラが好演している。

 原作にない要素としては、主人公行きつけの居酒屋とその主人が登場し、その居酒屋が流行感冒で客が入らなくなり、閉店してしまうこと。これもコロナ禍で閉店に追い込まれた飲食業者の窮状をドラマに反映させるためのもので、直哉も「それなら仕方ないな」と許すのではないか。

 本木雅弘演じる志賀直哉は、娘への感染にやや滑稽なくらい神経質に描かれているが、これもコロナを経験した日本人には共感とまではいかないまでも理解できるものだろう。対照的に安藤サクラ演じる康子夫人が実に冷静で思慮深く思いやりのある賢夫人として描かれている。

 特別ドラマ『流行感冒』は、単に原作に忠実であるだけでなく、原作の持ち味や伝えたかったことに、新しい命を吹き込むことによって、小説の神様からのコロナ禍で苦しむ現代人へのメッセージとなった。

(特別編集委員・藤橋 進)

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