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渋沢栄一は歌碑再建にまで尽力した慈善家だ

 明治・大正期の大実業家、渋沢栄一翁は、慈善家としても知られる。東京・狛江市の南部を流れる多摩川の土手近くに高さ約3㍍の万葉歌碑が立っている。それも渋沢らの尽力によるものだ。

 万葉仮名の「多麻河泊爾左良須/弖豆久利佐良左良/爾奈仁曽許能児能/己許太可奈之伎(多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき)」という東歌。若い娘たちの姿が目に浮かぶ。

 一度、江戸後期に同様の歌碑が作られたが、数年後の洪水で流失。大正13年に再建されたもので、渋沢は歌碑再建の会の顧問として自ら多額の寄付金を寄せ、講演会の演台に立ったりもしている。

 歌碑の背面には「皇都の東京」に「奈良朝の古風を追懐せんとす」と「碑陰記」が刻まれて、改めて愛国者の心意気がうかがえる。渋沢には実業以外の活動も多いが、地域のこうした歌碑の建立にまで目配り、心配りがあったとは正直、驚くばかりだ。

 流失前の歌碑には、寛政の改革で知られた松平定信の書が刻まれており、その拓本が残っていたため、模刻による再建が計画された。渋沢は定信にずいぶん私淑していたようだ。

 渋沢を主人公にしたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が14日(日)から始まる。凡夫の気になるところで、発起人の依頼や寄付金の要請などはあまたあっただろうが、どのように見極め、さばいていたのか。渋沢の人心収攬(しゅうらん)術と共に立ち居振る舞いを見てみたい。

(サムネイル画像:Wikipediaより)

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