«
»

江戸無血開城を果たした勝海舟の見事な生き方

 江戸時代の幕を引き、歴史を明治維新に進め、今日の日本への道を開いた人物の一人に、勝海舟を挙げる人は少なくなかろう。幕末期に江戸無血開城を果たし、江戸の街と町民らが戦火の犠牲となるのを食い止めた最大の功労者であることはよく知られている。

 下級の幕臣だったが、時代が海舟を歴史の表舞台に押し上げた。慶応4(1868)年3月、彼は徳川幕府側の全権として、官軍側の西郷隆盛との必死の交渉の末に無血開城を成立させた。

 歴史的偉業を成し遂げ明治政府が始まった後は表舞台から退いたが、それからの生き方がまた見事だった。旧幕臣を政府の役職に推薦したり、生活費を援助したりするなど、救済事業にも力を尽くした。

 旧主君の徳川慶喜の名誉回復にも忠義を尽くした。朝敵とされた汚名返上に奔走したのだ。西南の役で賊軍となった西郷の名誉回復にも動いた。政府ににらまれるのも構わず、西郷の碑を没後2年で建立している。

 自身の最後は胸に激痛が走った風呂上がり。「今度は死ぬるぞ」と言葉を発し、微(ほほ)笑みながら息を引き取ったという。明治32(1899)年1月19日午後のこと。享年数えで77歳。きょうは海舟の122回目の命日である。

 辞世の句は「虎となり鼠となりて老いにけり」。詠んだのは死の前年末である。歴史の表舞台に立った「虎時代」の10年ほどと、46歳から30年ほどの「鼠時代」を貫く「処世の秘訣は誠の一字だ」(「氷川清話」)であった。

(サムネイル画像:Wikipediaより)

2

コメント

コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。