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舞い降りる落ち葉に詩の一節が浮かんでくる

 JR中央線・総武線が走る阿佐ケ谷駅を出ると、右手に中杉通りがあり、道の両側にケヤキの木が並んでいる。夏には葉が生い茂って頭上を覆うようなアーチを作り、歩いていると心地よい木陰となっている。

 そのケヤキ並木は、今ごろになると黄葉して少しずつ落ち葉となって舞い降りて来る。その落ち方も、楕円(だえん)形の葉が空気の抵抗で揺れながらゆっくりと落ちて来る。

 いかにも、自分の時間を終えて大地に帰るという自然の営みが感じられる。その光景を見ていると感傷的な思いになってくるのも確か。落葉を歌ったフランスの詩人ベルレーヌの詩の一節などが自然に浮かんでくる。

 彼の詩の訳者には、上田敏や堀口大学、金子光晴らがいるが、訳者によってその調べの響きが違っているのは興味深い。だが、一番違和感を覚えさせないのは上田の『海潮音』の訳かもしれない。「秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの」と畳み掛けるようなリズムで、枯れ葉が落ちて来る光景が目に浮かぶ。

 外国語の詩を日本語に移植するのは難しいという。それだけではなく、同じ詩でも訳者によっては全く違ったイメージを与えられることがある。

 気流子が目を通した範囲で言えば、例えばフランスの詩人ランボーを訳した小林秀雄と堀口、中原中也では、それぞれの訳によってランボーの年齢を大人に感じたり少年に感じたりと幅がある。仕方がないが、そこに翻訳の難しさがあると言っていい。

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