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創刊50周年 「沖」 、 若手・評論偏重の効果は絶大

 「馬酔木(あしび)」を主宰した水原秋櫻子は昭和45年当時、俳人協会会長を務めていて、高校生からよく質問の手紙を寄せられたという。教科書に掲載された句について、友達と話し合うと意見が相違するというのだ。

 秋櫻子は返事をしたかったが、多忙でできず、代わりに『俳句鑑賞辞典』を編集し、東京堂出版から出した。270人以上の人物が登場し、それぞれ経歴を記し、句を挙げて鑑賞をほどこした。

 執筆者として他に能村登四郎、林翔(しょう)、福永耕二が加わった。人選は4人で相談し、仕事も4人で分担。秋櫻子が実力を認め、最も信頼していた「馬酔木」の同人たちだ。3人はともに千葉県市川市にある市川学園の国語教師だった。

 登四郎が同年「沖」を創刊、主宰すると、林と福永は支えてその基礎を築いた。市川学園は平成17年、彼らの功績をたたえて「三師学園句碑」を立てる。「沖」は今年10月で創刊50周年を迎えた。

 記念号には先輩や、俳句雑誌を主宰するようになった門人たち、編集者たちの言葉が満載。興味をそそられたのは「豈」発行人、筑紫磐井さんの「『沖』とは何だったのか」という「特別寄稿」。

 登四郎と編集長・林の方針は「若手の偏重、評論の偏重」だったという。この偏重の効果は絶大で、後に俳人協会賞や蛇笏賞などの受賞者が続々登場する。現在の主宰者は登四郎のご子息で、福永から指導を受けたという能村研三さん。俳人協会の現理事長だ。

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