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さまざまな文学賞「候補の正当な評価」必要

 最近刊行されたノンフィクションの単行本を読んだ。著者紹介が載っているのは普通のことだが、さまざまな文学賞の「最終候補」のデータがやたらとあって、最後に「××賞受賞」となっていた。

 いくつもの候補を経てやっと最近受賞に至ったことは分かる。しかし、最終候補歴の記述が多過ぎる印象はあった。

 候補は候補だから受賞ではない。だが、全くダメな作品が候補になるわけはない。選考委員の動きによっては、受賞作と紙一重で落選となった候補作もある。逆に、ギリギリのところでめでたく受賞という例もある。

 芥川賞の場合、候補となった作家は「芥川賞候補」と呼ばれ、30年ぐらい前まではそのことだけで話題になることもあった。今でも、東京のカルチャーセンターで小説の講座を持つには、芥川賞候補以上の経歴が求められるらしい。

 そのことを語ったのは、芥川賞候補に2回なったものの、受賞には至らぬまま亡くなった作家だ。カルチャーセンター講師にそんな資格や制度があるわけではないが、彼の経験では事実上、芥川賞候補であったことが求められたようだ。現に彼は、長らく新聞社系のカルチャーセンター講師を務めていた。

 この話は万事競争の激しい東京での実情のようだから、東京以外の場所では事情はそれぞれだろう。だから××賞候補も、××賞が有名であるほど、それなりの効果を発揮する場面はあるのだろう。「候補の正当な評価」は必要だ。

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