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<それは秋らしい柔らかな澄んだ日ざしが…

 <それは秋らしい柔らかな澄んだ日ざしが、紺のだいぶはげ落ちたのれんの下から静かに店先に差し込んでいる時だった>。志賀直哉の名作「小僧の神様」の冒頭部分である。余計な説明を省き「秋らしい柔らかな澄んだ日ざし」と書くだけで、その季節感が伝わってくる。

 しかし、最近は「秋らしい」日が少なくなっているのが気に掛かる。特に先月は台風が多かったこともあり、暑くもなく寒くもなく、からりと爽やかな晴れの日が少なかった。

 今年は春を振り返っても「麗らかな春の日ざしを受け」などと表現できる日が少なかった。早春、春たけなわ、晩春など、春にも微妙な違いを感じてきた。しかし例えば、泉鏡花が短編「春昼」で描いた眠気を催すような日は少なく、初夏を思わす暑さだった。

 ついでに言えば昔の夏は、どんなに暑くても夕方には縁側に出て夕涼みができ、そこに風情もあった。最近の酷暑は、夕涼みという言葉を死語にしつつある。

 愚痴っぽくなって申し訳ないが、それが昭和30年代生まれの気流子の実感である。「パリ協定」からの離脱を宣言したトランプ米大統領にはなかなか伝わらないだろうけれど。

 四季の変化がとりわけ細やかな日本では、それが和歌や俳句、その他文学作品に描かれ、独特の情感を育んできた。その基礎がだんだん失われつつあるのは残念だが、それらは将来、温暖化以前の気候や環境を忘れないための貴重な資料になるのではないか。

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