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従者に英雄なし、危機突破に女性擁立も視野

 「従者に英雄なし」という言葉がある。世間で英雄とか偉人とか呼ばれ崇(あが)められている大人物と言えども、年中身の回りの世話を焼いている「従者」から見ると、手のかかる「ただの人」に過ぎないという意味である。弁証法を打ち立てた哲学者フリードリヒ・ヘーゲル先生が仰(おっしゃ)るのだから間違いあるまい。

 言われてみれば思い当たる節は多々ある。鈴木善幸は運命の女神の気紛れで宰相になった。海外では「zenko who?」とクビを傾(かし)げられ、文藝春秋誌に「暗愚の帝王」と揶揄(やゆ)された御仁である。面白くないのが、鈴木善幸とシャム双生児と呼ばれていた薩摩隼人・二階堂進である。「あいつに務まるなら俺にもできる」と思ったのだろう、時の宰相・中曽根康弘の再選に叛旗(はんき)を翻した。「二階堂の乱」(1984年)である。あっさり鎮圧されたが、政治家の心が透けて見えるハプニングだった。

 闇将軍・田中角栄に逆らって竹下登を宰相にした金丸信は永田町のドンと怖れられた。「死んだふり解散」の立役者を演じ、「政治改革」で主導権を握ろうとした海部俊樹を宰相の座から引き摺(ず)り下ろすなど存分に力を揮(ふる)った。だが、地元・山梨県の古老は「あんな悪たれが実力者だって」と驚いていた。本人も心得ていて「富士山を見てみろ。遠くで眺めれば日本一の霊峰だ。だがね、近くで見ればゴミの山だよ」とさり気なく躱(かわ)したものである。

 恐らく、いま宰相・菅義偉は、このドイツの碩学の言葉を身に沁みて味わっていることだろう。官房長官として時の宰相・安倍晋三を思うまま操り「事実上の菅政権」と、わが世の春を謳歌(おうか)し、後継者は己しかないと自負していたに違いない。いまはとんでもない自惚(うぬぼ)れだったと思い知らされているのだろう。

 かつて官房長官からはストレートに宰相にはなれないと言われ続けてきた。内閣書記官長という「従者」の殻は厚く、なかなか破れなかったのである。石田三成が太閤秀吉の恩寵(おんちょう)をかさに着て天下の権を窺(うかが)い、敢えなく自滅した故事にダブらせる見方もある。

 それが、安倍晋三、菅義偉と二代続けてストレートに宰相に就任し「出世魚」(自民党長老)に喩(たと)えられるようになった。だが、安倍晋三が第一次政権で躓(つまず)いたように菅義偉も政権発足時に史上第3位の高い内閣支持率を記録したのが嘘のように、あれよあれよの急降下、危険水域の一歩手前にまで転落した。クビの皮一枚で繋(つな)がっているとみるや、この玉の輿に乗った果報者に、ここぞとばかり悪罵(あくば)が投げつけられる。地球上に蔓延しているコロナは、誰が宰相になろうと、そう簡単に退治できるものではない。憲法で手足を縛られながら日本は上手くやっている方である。

 宰相にとって気になるのは政権の生みの親であり、生殺与奪の権を一手に握っている自民党幹事長・二階俊博の向背である。岡目八目で見れば、その心は明瞭である。衆院選に勝つことだけを使命と弁えているに違いない。だから目的遂行のためには手段を選ぶまい。非情な決断も辞さない覚悟が読み取れる。

 二階俊博が師と仰ぐ田中角栄や金丸信も、いざとなれば情も柵(しがらみ)も捨てた。田中角栄は恩人である佐藤栄作の意向を無視し、金丸信は竹下政権樹立のために、盟友である田辺誠(当時社会党委員長)を袖にした。二階俊博も菅義偉の施政方針演説を褒めちぎる一方、腹心中の腹心である林幹雄(自民党幹事長代理)に「衆院選は(秋に予定されている)総裁選の後が望ましい」と語らせている。このまま内閣支持率が上向かないようならクビを挿げ替えるぞと脅かしているようにも聞こえる。

 永田町では、総裁選より前に、宰相が、数少ないチャンスを捉え、衆院解散・総選挙に踏み切るとみていた。万一、単独過半数を割っても、宰相よりも幹事長が鼎(かなえ)の軽重を問われる。その戦略が暗転しかけている。菅義偉で戦えるのか。

 二階俊博からすれば党内基盤の弱い菅義偉なんぞは生かすも殺すも胸先三寸という思いがある。すでに河野太郎や、先の総裁選で菅義偉に後れを取った岸田文雄、時節到来とほくそ笑む石破茂、目先を変えるために初の女性擁立という手も囁(ささや)かれている。その多くに二階俊博の息がかかっている。

(文中敬称略)

(政治評論家)

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