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スーパーサイエンスハイスクール(SSH)のスーパーの意味は?

廣井3

 私は現在帰国中だが、有給休暇を取って4つの学校に行って講演などをしてきた。福井県の名門校である武生高校では、素晴らしい設備の会場で1学年全員と理数科の生徒に1時間半の講演をし、鳥取西高校でも当初の会場では収まらない人数の生徒に場所を変えて講演し、米子では国立米子工業高等専門学校でやや大学レベルの高い講義をしてから、米子東高校では少人数ではあるが先生や保護者とTV局が入った授業をしてきた。どの学校においても特色のある先生方と生徒の姿に接することは、教育職に就けなかった私にとって貴重な経験である。

 日本にはだいぶん前からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)という制度があり、指定校は通常の理数系のカリキュラムを超えた大学レベルの学習や研究と発表の活動ができる。私はWebサイトでSSH指定校を調べ、各校のサイトから電子メールやお問い合わせフォームを利用してコンタクトし、良い反応があれば話を進めてきた。大体10高に1高くらいのくらいの確率で話は決まってきたと思う。そういう意味で私はSSH制度の恩恵を大きく受けてきた。SSH担当の先生方の献身的な働きに非常に感謝している。

 このSSHという名前であるが、直訳すれば「超科学高校」となり、科学を超えたものを教える高校という響きがあるのが面白い。もちろん文科省の意図としては「スーパー」は「ハイスクール」に着くのかもしれないが、やはり英語の普通の意味だと、「スーパー」は「サイエンス」にかかるのではと感じてしまう。

 しかし、この支援金で学校が生徒にさせている多くのことは単に高校の通常の授業では網羅されていない分野や高いレベルの科学の活動であり、超科学の活動ではなかろう。そういう大学の意向でやる科学をちょっと体験する程度の活動で、SSHの費用や担当の先生方の無償の努力は報われているのであろうか?

 私が高校に訪問する時に話すのは普通、はやぶさ・はやぶさ2ミッションの紹介と、それによって惑星科学が如何に躍進していくかであるが、近年においては、科学を超えたものの話もする。当然のことだが、科学の目的は科学自体ではなく、この世のすべての現象の背後の原因を探ることである。真理の追求といってもよい。しかしながら、科学が自然哲学と呼ばれたギリシャ時代と違い、現代の科学は目に見える物質世界を取り仕切る法則を見出すことのみで満足しているように見える。根本原因や目的を探る哲学とは言えない。

 実際、霊魂とか霊界、そしてビッグバンの原因、さらには人間原理やID理論で指摘しているように、地球がなぜ人間の科学活動に最適にできているか?などの本質的問題を切り捨て、議論を避けているから、精密な答えを出し続けているだけである。理学博士号をとるとPh.Dという「哲学博士」の称号を受けるが、自然哲学をやめた理学博士には本当はその資格はない。私は名実ともにそれを回復したいと思っている。科学が未知のものを探求し続けない限り、その使命は果たせない。

 科学がそういうテーマに取り組んで「超科学」になることの恩恵は実はとてつもなく大きい。なぜなら、この世を超えた世界は、主に宗教が各々勝手な主張をしながらお互いに争っている場になっていることが多いからである。それら宗教が扱っているテーマは、この「宇宙の根源」とか「死後の世界」であり、それはビッグバンの前にあり、人間が死んだら行く霊界のようなものの内容を天の啓示として信じなさいと言っている教えであるともいえる。しかしながら、文化背景も経験も違う人々が異なることを信じるのは自然であり、グローバルな社会になるほどそれらの衝突が起こってくる。

 科学は結果には原因があるという論理を突き詰めてきた学問であり、観測や実験を通してだれが何度やっても同じ結果が出て同じ結論に至るという客観性に立脚してきた。そのような科学の手法を、宗教が勝手に語ってきた霊界に適用することで、世界人類が合意できる、信じなくとも知識として知ることのできる世界にすれば、宗教は1つになる、というより宗教は必要なくなり、科学と宗教が1つの新しい真理体系として完成するのではないか? そういう世界に向かう一歩として、惑星科学の立場から私は生徒らに未来を託すつもりで教え続けたい。

(2018年5月10日記)

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