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共産主義とクトゥブ主義は同根だ

 少し時間が経過し、忘れられた読者もいるかもしれないが、加藤勝信官房長官が14日の記者会見で、「政府は、共産党が(「敵の出方論」)に立った暴力革命の方針を依然破棄していない、と考えている」と述べ、17日の会見では、「公安当局が共産党発行の各種文献を調査した結果に基づく判断だ」と説明したという。

ムスリム同胞団の思想指導者・クトゥブ(ウィキぺディアから)3

ムスリム同胞団の思想指導者・クトゥブ(ウィキぺディアから)

 当方は「共産主義は悪魔の思想」と考えているから、加藤官房長官の説明には物足りなさを感じるが、共産主義が暴力革命を放棄していないことは理論だけではなく、その出自から判断しても明らかなことだ。

 共産主義はキリスト教の衰退から生まれてきた思想だ。その思想体系もキリスト教の世界観に似ている。救い主は共産党であり、労働者、共産党員は選民だ。キリスト信者たちが「天国の建設」を叫ぶように、共産主義者は、労働者を搾取する資本主義社会を打倒し、「労働者の天国」、格差のない階級なき社会の建設を訴える。終末になれば、救い主が降臨し、地上に神の世界を宣布するように、共産主義者は時が来たならば「革命」が不可欠と考える。旧チェコスロバキアの「ビロード革命」のような非暴力による政権交代は考えられないのだ。

 「敵の出方論」は一種の方便に過ぎず、スターリン・ソ連共産党や毛沢東中国共産党をみても、暴力革命、粛正の嵐が吹き荒れた。中国共産党は数千万人の同胞を粛正した。多分、温かい書斎でコーヒーを飲みながら共産主義思想を学んできた日本共産党現指導部は「われわれは違う」と否定するだろうが、共産主義の看板を掲げている以上、日本共産党のルーツは変わらない。日本共産党は2004年、党綱領を改定したが、その中身は何も変わっていない(「『共産党』を“誤解”している友へ」2015年11月8日参考)。

 公平を期していうならば、共産主義思想が出現したのはキリスト教がその使命を果たせなかったからだ。その意味でで「責任」がある。神を親として、全てが兄弟姉妹と叫んできたが、実際のキリスト教社会には人種差別があり、性犯罪、淪落が絶えない。豊かな者は更に豊かになり、貧しい者は更に貧しくなる。そのような社会に神はいないという声が飛び出してきたとしても不思議ではない。

 共産主義は悪魔の思想だ。悪魔はその声を聞き、「その通りだ、神はいない」と囁き、神なき世界、無神論唯物主義を広げていった。冷戦時代の初期、共産主義が若い世代に広がっていくのをキリスト教会はただ見つめているだけで、代案を提案できなかった(キリスト教会の中には新しい宗教刷新運動が起きたが、流れを変えるほどのパワーはなかった)。

 興味深い点は、共産主義はキリスト教社会の腐敗へのアンチテーゼとして生れたが、その背後にキリスト教の母体となったユダヤ教が共産主義思想の構築に大きな影響を与えていたという事実だ。

 1917年のロシア革命は人類史上初の社会主義革命だった。その革命の主導者、ウラジーミル・レーニン自身はロシア人だったが、彼の側近にはユダヤ系出身者が多数を占めていた。レーニンも厳密にいえば、母親がドイツユダヤ系だからユダヤ系ロシア人だ、ともいわれている。カール・マルクスもユダヤ系出身者だったことは良く知られている。すなわち、マルクス・レーニン主義と呼ばれる社会主義思想はユダヤ系出身者によって構築されたわけだ。スターリンがその後、多くのユダヤ人指導者を粛清したのはユダヤ人の影響を抹殺する狙いがあったという(「ユダヤ民族とその『不愉快な事実』」2014年4月19日参考)。

 ソ連・東欧共産党政権は1989年以降、次々と崩壊していった。欧米社会が共産主義世界の崩壊に喜々となっていた時、悪魔はイスラム過激主義に手を伸ばしていたのだ。具体的には、エジプトに発生した「ムスリム同胞団」だ。中東問題専門家アミール・ベアティ氏は、「北アフリカ・中東諸国のテログループからアフガニスタン、パキスタンのイスラム過激派までその思想的母体はエジプトのムスリム同胞団だ」と述べている。

 その思想を構築した理論的指導者はサイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)だ。クトゥブは1906月10月、エジプトのアシュート・ムーシャ村に生まれた。父親は地元の地主だった。1929年、カイロの高等師範学校に通い、39年に教育省に入省、役人生活に入る。クトゥブの思想に大きな影響を与えたのは1948年の訪米体験といわれる。米コロラド州立教育大学などで学びながら、米国の文化を視察していく。「私が見たアメリカ」という著書の中で米国文化が物質主義であり、個人主義、人種差別などが席巻していると批判的に記述している。帰国後、教育省を辞職。そして「ムスリム同胞団」に入り、機関紙の編集長などを歴任し、まもなく理論的指導者として頭角を現す。「ムスリム同胞団」が54年、ナセル大統領暗殺未遂事件を起こし、クトゥブも逮捕される。一時釈放されたが、66年8月29日、処刑され、還暦を迎える直前に生涯を閉じた。

 クトゥブはコーランを独自の視点から解釈し、アラーは如何なる主権、民主主義より上位に位置する絶対的な主体者と見る。そして、全ての権威は神から起因する。だから、その教えの行き着く先はシャリア(イスラム法)だ。彼の思想はイスラム教のユートピアであり、ロマン主義的社会主義、ネオ清教徒イスラム教だと評されている。同時に、クトゥブの思想には反ユダヤ主義が深く刻み込まれていることから、イスラム教世界の反ユダヤ主義に大きな影響を与えている。

 クトゥブは欧米キリスト教社会の腐敗を目撃したことが契機となり、イスラム教の教えをもとにした公正な社会を構築しようとした。その際、キリスト教の母体のユダヤ教に対しても憎悪心を強めている。多くの若いイスラム教徒が「ムスリム同胞団」に入って献身的な歩みをする姿は、共産主義の台頭初期に多くの若者がその思想に惹かれていった姿と重なるわけだ。

 クトゥブの思想はアルカイダの創始者ウサーマ・ビン・ラーディンやアイマン・ザワヒリ、ナイジェリアの「ボコ・ハラム」、ソマリアのアル・シャハブ、フィリピンのモロ・イスラム解放戦線(MILF)など世界のイスラム過激テログループに影響を与えている。そればかりか、シーア派のイランのホメイニ師もスンニ派のクトゥブの著書を高く評価していた(「イスラム世界の『クトゥブ主義』」2013年7月14日参考)。

 共産主義はキリスト教を温床にして生まれ、冷戦後はキリスト教社会の中心米国へのアンチテーゼとしてクトゥブ主義が台頭し、ジャーヒリーヤ(イスラムへの無知)社会に対して聖戦を展開している。共産主義は唯物的無神論を掲げ、クトゥブ主義は神の国シャリアを掲げ、神の名を悪用してイスラム過激主義を広げているわけだ。

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