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金正恩氏の「人民第一主義」とは

 北朝鮮国営通信、朝鮮中央通信(KCNA)が発信した1枚の写真を見て驚いた、というより、「彼らは歩きながら何をメモしているのか」という好奇心が湧いてきた。「彼ら」とは、北朝鮮の金正恩労働党委員長が話す一言一言を小さなメモ帳に書きとっている側近、視察先関係者だ。

▲平壌住宅街にある「フィットネスセンター」(駐オーストリアの北大使館写真掲示板から、2014年1月2日、撮影)

▲平壌住宅街にある「フィットネスセンター」(駐オーストリアの北大使館写真掲示板から、2014年1月2日、撮影)

 KCNAは23日、金正恩氏が平壌近郊で建設中の光川養鶏場を視察したと報じた。その時の写真だ。金正恩氏は白のシャッツを着、左手にはいつものようにタバコを持っている。とても心臓疾患で手術を受けた直後とは思えない。それとも、自分の寿命を知った独裁者は自身の健康問題を忘れ、「人民第一主義」を実践しているのだろうか。

 韓国聯合ニュースは「北の採卵、鶏肉加工工場の近代化は遅れている」という金正恩氏の発言を報じている。金正恩氏は、「党が心を砕く人民の食生活問題の解決に寄与できる工場となることを期待する」と述べたという。

 それにしても、金正恩氏の後についてくる北の指導者、軍幹部、養鶏所関係者の姿を見てほしい。彼らは皆、何かに取り憑かれたようにメモっているのだ。写真を拡大してもメモの内容は読めないが、養鶏場建設現場で語る金正恩氏の一言一言を聞き逃したら大変だといわんばかりにメモっているのだ。

 金正恩氏がいつから養鶏問題の専門家になったのか。彼が専門家であれば、その話を聞き逃がすまいと書きとめるのなら理解できる。農業飼育学校の学生ならばそうするだろう。しかし、金正恩氏は3代続く世襲国家の独裁者だ。留学先のスイスのベルンで農業や養鶏関連を学んだとは聞かない。養鶏分野では素人の金正恩氏が養鶏場建設現場を視察し、近い将来完成する養鶏場の運営方式を語り、それを党・軍幹部、養鶏場の専門家が必死に書きとめる姿はやはり異様だ。

 その異様さこそ、北の国民経済の実態を端的に示しているように感じる。21世紀の現代、講演会や会見では高性能のボイスレコーダーを持参する。後日、事務所に戻り、それを聞きながら書き写せばいいだけだ。金正恩氏の現場視察の場合、事前に予定されていた日程だから、準備はできるはずだ。その上、視察同伴者や関係者が全員、書きとめることはないだろう。一人が筆記、ないしはレコーダーのスイッチを押せばそれで済む。KCNA発信の写真を見て頂ければ、関係者全員が筆記係となっているのだ。金正恩氏はタバコを片手にもちながら前を歩いている。

 メモを取っていないのは金正恩氏以外では1人の女性だ。連合ニュースによると、金正恩氏の実妹・金与正党第1副部長という。彼女は金正恩氏の一挙手一投足を見ながらついてきている。いずれにしても、暑い日、彼女はメモ仕事から解放されているだけでも、特権を有していることが分かる。同視察には、金与正さん以外では、朴正天人民軍総参謀長、金秀吉軍総政治局長らが随行したという。

 もちろん、金正恩氏は視察先で養鶏場の話をしているのではないかもしれない。「人民第一主義」の哲学を話しているのかもしれない。そうなれば、聞き逃したら大変だ。レコーダーを持参していないのならば、必死にメモしなければならない。しかし、このKCNA発信の写真は異様だ。多分、異様なことに慣れているKCNA写真記者や党関係者は気が付いていないかもしれない。「何を」って、写真が異様だということをだ。

 最大の異様さといえば、レコーダーも使わず、金正恩氏の話を筆記している国で20基以上の核兵器が保有されているという事実だ。北は今日、核保有国入りを主張しているのだ。そしてその核兵器を破棄させようと世界最強国の米国が金正恩氏に非核化を要求している。

 社会の格差は欧米社会でも見られるが、北の格差は貧富、医療、教育など全分野に及んでいる。中途半端なアンバランスではない。3食も食べられない国民が多数を占める国で、欧米諸国でも見られない豪華な食事が独裁者の食卓を飾っているのだ。痩せ細った人民軍の若き兵士の前を、130キロ余りの巨漢の金正恩氏が行くのだ。

 その独裁者がここにきて国民の生活向上のために「人民第一主義」を提唱し、養鶏場建設現場を視察した。金正恩党委員長は権力に就いた直後、綾羅人民遊園地を完成し、平壌中央動物園の改修、そして“世界的な”スキー場建設など、遊戯用インフラの整理に腐心してきた。全ては「人民生活の向上のため」という名目付のプロジェクトだったが、実際は新婚の金正恩・李雪主夫妻に必要なものを揃えていったわけだ。結婚し、子供ができるので、遊園地と動物園が必要であり、夫人と休暇を楽しむためにスキー場を建設していったわけだ。食事も十分摂れない国民がスキーを享受し、遊園地で楽しむことができるだろうか。

 執権7年目を迎えた金正恩氏はそれに気がついたのかもしれない。金正恩氏は1月、肥料工場の建設現場を視察、3月には平壌総合病院の着工式に出席している。そして今月20日には平壌総合病院の建設現場を視察し、「資材供給などで人民に負担をかけている」と叱責し、党幹部たちを更迭したという。金正恩氏はアンバランスの国、社会、国民経済で必死にバランスを取り戻そうと努力してきたのかもしれない。

 金正恩氏が突然、人民の生活に関心を持ち出したのは、北の食糧状況が極度に悪化し、飢餓に陥る国民が出、治安問題にまで発展する危険性が出てきたからかもしれない。核兵器を懐に抱えながら、北(国民)は飢餓で苦しんでいるとすれば、なんと哀しきアンバランスだろう。

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