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眞子内親王殿下がブータンで訪問されたダショー西岡の事績

 5月31日から9日間、ブータンを公式訪問されていた眞子内親王が、「ブータン訪問を終えて」と題してご印象を発表された。

宮内庁「眞子内親王殿下 ブータンご訪問を終えられてのご印象」
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/23

 その中で、次の一節がある。

——————-引用始まり
また,ブータンの農業発展に大きく貢献された西岡京治氏(ダショー西岡)の業績にもふれることができました。パロの農業機械公社にはダショー西岡についての展示や写真がありました。また,訪問した農家の人々,そして各所でお会いした多くのブータン人の心の中に,ダショー西岡への思いと感謝が今も強くあることを感じました。「西岡チョルテン」の前では,ブータンの僧侶や農林省関係者,ブータン各地域の農民の代表による特別な儀式も行われました。
——————-引用終わり

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 その国の発展に尽くした日本人の事績を皇族が訪問されて、その国の国民と日本国民がともにそうした人物を偲ぶというのは、友好を深めるための良い方法である。

 せっかくの機会なので、弊誌で紹介した西岡京治の事績を再発信して、同氏の偉大な事績を日本人としても、思い起こしたい。その第一節だけ、引用する。

——————-引用始まり
 30年近くもブータンで農業振興に尽くし、国王からダショーという最高の称号を贈られ、死しては国葬に付された日本人。

■1.ブータンで国葬に付された日本人

 1992(平成4)年3月26日、ブータンで一人の日本人が国葬に付された。30年近くも同国の農業振興に尽くして、「ブータン農業の父」と呼ばれた西岡京治(けいじ)である。葬儀委員長は農業大臣のレキ・ドルジ氏。ブータン西部のパロ盆地を見渡せる丘につくられた葬儀場で、なきがらは荼毘(だび)に付された。

 おおぜいのラマ教の坊さんたちによる読経が果てることなく続いた。葬儀には5千人もの人々が弔問に訪れ、西岡の妻・里子と娘の洋子は、和服に似た民族衣装キラに身を包んで、人々のお悔やみの言葉を受けた。

 葬儀の後、里子がパロ農場の西岡の事務室に入ると、国王の伯父で厚生大臣のナムゲル・ウォンチュックからの電報が机の上にあった。大臣が視察先のシェムガン県パンバン村から打った電報だった。ブータン南部の僻村である。

 ・・・パンバン村の人たちは、あなたのことを尊敬の気持ちをもって覚えており、あなたがふたたび村を訪れてくれることを、心からお待ちしております。

あなたがはじめた開発の仕事はいま、実を結んでいます。村人たちは、「あなたの献身的な働きがなければ、自分たちの進歩はなかっただろう」と言っています。かれらはいつまでもあなたに感謝し続けるでしょう。
——————-引用終わり

 同様の気持ちを抱いたブータン各地の人々が5千人も葬儀に参列したのである。

(以下に続く)

JOG(825) 「ブータン農業の父」、西岡京治
 30年近くもブータンで農業振興に尽くし、国王からダショーという最高の称号を贈られ、死しては国葬に付された日本人。
http://blog.jog-net.jp/201311/article_6.html


「国際派日本人養成講座」ブログより転載
http://blog.jog-net.jp/

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