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豊洲移転の都民投票を切に願う

決断の時が迫る小池都政

 小池知事が誕生し大きな話題になったのは、言うまでもなくオリンピック会場問題と豊洲問題である。前者は結局、従来通りの会場となったが「頭の黒いネズミがいる事が分かった」という小池都知事の機転の利いた言葉によって氏の政治的失点にはならなかった。しかし、豊洲移転問題には同じ手法は通用しない。石原元知事や浜渦元副知事の責任をどれだけあげつらったとしても、豊洲移転を再び政治問題にし、都民の不安を増大させ、豊洲市場ばかりか築地市場のブランド価値まで棄損したのは、氏の政治パフォーマンスが原因だ。

 しかし、それでも私は、収束しつつあった豊洲移転問題を取り上げた事は無駄ではなかったと考えている。小池都知事は、おそらく行政の責任者として初めて「安全」と「安心」を区別した上で「安心」にも重きを置いた人物だからだ。「安全」とは自然科学の専門家が合理的な思考の下で一定以上の危険はないと判断した状態である。これに対し「安心」は大衆心理に過ぎない。

「安全」の合理性と「安心」の不合理性を示す典型として、9.11多発テロ直後の全米の交通事故犠牲者数を挙げる事が可能だ。あの事件により米国民は「安心」して飛行機に乗る事ができなくなった。その結果、可能な距離ならば自動車やバスでの移動を選択する国民が増え、結果として飛行機事故も含めた交通事故犠牲者が増加したのである。この例に限らず、多くの場合、専門家は正しく大衆は間違っている。それゆえ、行政は専門家の意見に耳を傾け、「安全」であるにも関わらず「安心」しない大衆を啓発し、それでも大衆が納得しない場合は強行するというスタンスで運営されてきた。
 だが、果たしてそれはデモクラシーとして正しい姿なのだろうか。安全保障や外交など国家運営の根幹に関わる問題は、大衆の不合理さに付き合うべきではない。それゆえ、全ての先進国は間接民主制を採用しているのであり、基地問題で住民投票を行うなど愚の骨頂だ。しかし、東京都の公営市場をどこに置くかごとき問題で「安全なのに安心しない大衆よ、黙りなさい」と移転を強行すべきだろうか。私はそうは思わない。地方行政レベルでは住民の意思を反映させるべきと考えるのもデモクラシーのイロハである。

 東日本大地震に続く福島原発事故により、私たち日本人は専門家が言う「安心」も万全ではない事を学んだ。それゆえ再生可能エネルギーがどれほど経済的に不合理であったとしても、それを選択する人々を愚かとは言えない。「安全」が「安心」に常に優位すると考えるのは、専門家の驕りだ。
 豊洲の土壌は汚染されているが、築地の土壌だって汚い。しかし、これまで築地市場で土壌汚染は問題にされてこなかったし、事故も起こっていない。だから、豊洲で市場を開こうがベンゼン等が食べ物に付着し事故に至る危険性は限りなくゼロである。そんな事は冷静な人ならば誰だって分かっている。それを全部分かった上で都民全体の判断に従う、例え愚かな結論になったとしても従う、そういう経験もまた私たちはすべきではないだろうか。

 都議会議員選挙と同時に豊洲移転の是非を問う都民投票を切に願う。

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