«
»

「人権派」こそ、帝国憲法復活を希求せよ

 我が国は日本国憲法(以下、当用憲法)の規定の下に政治が進められ、司法も動いている。当用憲法に関して、左派の護憲派は憲法9条だけでなく、その人権規定に関しても評価している。「日本国憲法のおかげで、日本人は人権を取り戻した」と、あちこちで“デマ”を流布している。そして、憲法改正に関しては、「人権を踏みにじる国家になる」と批判している。しかし、考えてほしい。当用憲法の人権保障を担保しているのはどこか、ということである。それを解き明かせば、むしろ「当用憲法こそ、人権を軽視している」ことがお分かりいただけるはずだ。

 当用憲法下では、人権に関しては「公共の福祉に反しない限り」という制限はあるが、戦後民主主義の教育の悪影響もあってか、「無制限に自由だ」という概念が広まった。そして、人権と人権が衝突する事態に関しては、あまり議論されない。だが、人権と人権の衝突は戦後多く発生しており、裁判沙汰になることがしばしばである。そして、裁判官の判断により、人権と人権の衝突に対して折り合いをつけたり、一方の人権を制限することがある。

 だが、裁判官には「政府の意思が反映される可能性」は否定はできない。なぜならば、裁判官の人事や給与、裁判所への予算は、最高裁判所事務総局によってコントロールされている。その上部組織として、法務省があり、法務省の予算の中から配分されている。つまり、法務官僚の影響や検察庁の官僚の意向が反映される可能性は否定できない。よって、政府の意向が反映される可能性がある。

 ここで、大日本帝国憲法における司法制度はどうであったかを検証していきたい。大日本帝国憲法下の我が国は、最高裁判所ではなく大審院があり、法務省ではなく司法省があった。戦前の大審院は、司法省に人事権と予算権を握られてはいた。そこは、現在の状況と似ている。しかし、大審院を含め当時の裁判所や裁判官と司法省とは非常に対立関係にあり、現在よりも司法の独立性は担保されていた。現在の裁判所は、官僚化していると言える。戦前と戦後とで、司法の独立性はむしろ弱体化したと言えるのではないか。だから、統治行為論による司法判断の回避も連発されるのではないだろうか。

 法務省に事実上、人事権と予算権を握られた現在の裁判所に、果たして人権保障の担保を任せられるかは非常に疑問が残る。

 また、大日本帝国憲法の条文には人権の規定として、「法律による留保」が定められている。これに対して、護憲派は「政府の意向によって、いつでも人権の制限が出来る」と批判する。しかし、考えてほしい。その「法律」は誰に選ばれ、どこが立法するのかということだ。

 当時は、国会ではなく帝国議会であった。衆議院は、臣民から選ばれた議員によって構成される。臣民の民意が間接的に反映され、その民意をもとに法律を議論し、人権保障として「民意が反映された法律」により担保されていた。さらに司法省との対立構造により独立性を保っていた裁判官によって、司法判断が下された。ところが、現在の人権保障は、政府や官僚の意向が反映されやすい制度のもとに運用された裁判所が判断する。

 このように整理をし憲政史を紐解けば、大日本帝国憲法と当用憲法とで、どちらが人権規定に関して進歩的か分かるだろう。人権派の弁護士を中心に、護憲勢力が「人権を守れ」という。ならば、人権を本当の意味で守れない当用憲法に、それをどうして求めるのか。私なら、憲法を改正して帝国憲法の人権規定に近い規定を明記せよ、と訴えるだろう。

1

コメント

コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。