ワシントン・タイムズ・ジャパン

モロタイ島での植林、今、なぜ?

 71回目の終戦記念日を迎えた。310万人もの先人が生命をかけて戦い、多くの尊い犠牲を払ったことが今日の平和と繁栄の礎になっている事実をしっかりと心にとどめ、この「平和と繁栄」を次世代に確実に引き継いで行く必要がある。

モロタイ島にある中村輝夫さんの記念碑

モロタイ島にある中村輝夫さんの記念碑

 終戦後30年が経過した1974年12月26日、インドネシア北マルク州のモロタイ島のジャングルで1人の元“日本兵”が発見された。
 同年3月12日には小野田寛郎さんがフィリピンのルバング島で発見されて帰還し、その2年前にはグアム島で横井庄一さんが見つかり日本に帰還したことは、多くの人の記憶に留まっている。この2人は当時多くの新聞やテレビで報道された。しかしモロタイ島の中村輝夫さんの報道は発見の第一報だけで、その後ほとんど報じられなかった。

 だから、中村輝夫さんという名前を覚えている日本人は少ないだろう。中村さんが発見された日が筆者の誕生日だったことから、鮮明に記憶しているのだが、当時、なぜ、横井さんや小野田さんのように、中村さんの報道が少なかったのだろうかと疑問に感じていた。

なぜだろうか?中村輝夫さんのこと

 改めて調べてみると、彼は台湾出身の高砂義勇兵として1943年11月に入営し、モロタイ島に派遣された。44年9月に米艦隊に取り囲まれ、上陸してきた米兵から銃弾を浴びせられて、500人いた高砂義勇兵も激戦の末、降伏して、収容されたのはわずかに172人だった。
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 生き残った彼らが46年6月20日に台湾の基隆港にたどり着いた時には、台湾は大陸から来た蒋介石の国民党政権となっていた。日本統治時代の記憶や記録は消し去られていたようである。高砂族も日本名を捨てて漢族風の名前で時代を生き抜いたのだ。
 中村輝夫さんは、戦争に行くときは日本人として、30年後、故郷の台湾に帰った時は台湾人としての帰還となったのである。

 その上、北京の中華人民共和国との関係修復に汲々としていた日本政府にとって、台湾出身の元日本兵は“招かざる客”だった。本来であれば日本に迎え、健康を回復してもらい、30年の空白を埋めてもらったあとで、本人の希望に従ってその後の帰還先を決めるべきなのに、全く思いやりのない処置で、「日本に帰りたい」という希望をかなえることもなく、75年1月8日に中華民国政府発行の帰国証明書を携えて、直接台湾に戻されたのだ。そのため、日本人の記憶に「中村輝夫」という高砂族出身の元日本兵が留まらなかったのである。

 日本軍人として戦い、ジャングルに潜んで30年間、戦い続け、時代の流れに翻弄された中村輝夫さんという一人の“日本人”がいたことを日本人として忘れてはならないと感じている。

モロタイ島の青年との奇跡的な出会い

後ろ右アバスさんとご家族。前列中央副代表理事小坂博さん

後ろ右アバスさんとご家族。前列中央副代表理事小坂博さん

 モロタイ島はインドネシアの中でもフィリピンに最も近く、面積は佐賀県ほどの島だが、太平洋戦争時、日本軍にとって重要拠点地域の一つであった。飛行場を建設し守備隊を強化していたが、アメリカ軍に奪われ、フィリピンや東ボルネオへの攻撃の基地として使用された。
 この地に散った英霊は1712人。わずか2年足らずの間に失われた生命としてはあまりにも多く、大変な激戦であったと想像される。

 あまり知られていないモロタイ島だが、思いがけず、2年ほど前、不思議な縁を結んだ。日本に十数年在住しているモロタイ島出身の青年アバス君が、故郷の島に植林をしたいと言っているという話をある会社の社長、小坂さんから知らされた。
 モロタイの情報を集めようとしたものの、情報量が少なく、同地を知るのは難しかった。アバス君から現地情報を教えてもらい、植林は同島のバイオマスエネルギー供給のための植林プロジェクトを立ち上げて応援するとの結論を得て、国土緑化推進機構の緑の募金公募事業に応募し、2016年7月に助成決定を得た。
 こうして、自分には縁のなかったモロタイ島での植林が奇跡的な出会いと縁によって取り組めることになった。

モロタイに平和の樹を植える

 この植林の目的は、産業の少ない島民の収入機会につながるような「植林」行うもので、8月28日からアバス君の案内で小坂さんと私の3人で現地へ行くことになった。
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 中村さんや英霊に想いを馳せながら、そして戦争のために迷惑をかけた島の人々の役にたてるよう、微力を尽くしたいと願っている。

 太平洋戦争の記憶が消えてゆく中で、オランダの植民地として苦しめられていたとはいえ、それ以外は戦争をする意味も意義も判らないままに島の人達を巻き込んでしまった。中村さんが発見される2週間ほど前に、第2遊撃隊長の川島威伸氏が戦没者の遺骨収集団としてモロタイを訪れ、現地慰霊祭であいさつしている。川島氏は、インドネシア政府や軍関係者、地元住民に感謝を捧げるとともに、島の激しい戦闘で「とりわけ無辜の島民の生命、財産など失われたものは数多く、真に傷心に堪えない」と述べた。

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 戦争で得られるものはなく、失うものの多さに今更ながら無念を感じる。しかし、太平洋戦争があり、今私たちがその子孫として生かされていることは事実であり、ただただ先人に「感謝」し、「世界平和の為に生きる」ことの大切さを再認識している。
 「植林」は、国境を越えて、人種や宗教や文化の違いを超えてすべての人類にとって大切な行動である。「地球の大地、自然の偉大さや平和の大切さ」を教えてくれる学びの機会であり、平和を希求する人類にとって不可欠な活動である。
 戦争ではなく平和のための植林をぜひとも成功させたいと願っている。すべては生命の継承のために!

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