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「生前」も「退位」も不敬極まりない言葉

 誰しもが幼少のころ、両親から言葉遣いに関して叱られた経験はあるだろう。とくに、目上の方に対する敬語の使い方に関しては、口酸っぱく言われたはずだ。私もその一人で、両親には非常に厳しく注意されてきた。また、学校教育の場においても、ゆとり世代とはいえ、敬語の使用に関して非常に重要視されてきた。我が国には、言霊という概念があり、古代日本人から現代におけるまでずっと大切にされてきた。しかし、昨今の新聞報道を観察していると、言葉のプロフェッショナルのはずの新聞が、全く敬語や敬称を使えない現実を目にする。本年8月8日の天皇陛下の玉音放送に関する新聞報道も、酷い有り様だった。

 天皇陛下が8日に、ビデオメッセージという形でお言葉を述べられたのは、「天皇」というご存在が高齢になり、国事行為及び宮中祭祀などに一定の支障が出てきた場合、どのようにすべきなのかという、天皇不親政の原則を厳守しながらの問題提起であった。陛下のお言葉では具体的には述べられなかったが、「天皇の譲位」を示唆するものであると拝察される。「天皇の譲位」に関して、今後どのように政府や国会は議論していくのか、非常に大きな関心事ではあるが、その前に「保守政治家」と呼ばれる人たちや、「保守系」と呼ばれるメディアの皇室報道での敬語や敬称の使用の仕方が非常に気になるので、本稿で問題提起したいと思う。

 全国紙で一般に保守系新聞と呼ばれる新聞は、産経新聞、読売新聞、日本経済新聞である。そしてオピニオン紙としては、私がコラムを執筆させていただいている世界日報。地方紙では、「沖縄の良心」と呼ばれる八重山日報などがある。さて、今回の天皇陛下のお言葉に関して、保守系各紙がどのように報じたか。また、一部ではあるが保守政治家と呼ばれる方々が、どのような言葉遣いをしたかを検証していくことにしよう。

 先ずは、新聞で最も保守と呼ばれ、「日本を愛し、歴史に誇りを」を社是とする産経新聞だ。9日の1面トップの見出しは、「生前退位 強いご意向」であった。社説でも、「生前退位」という言葉を用いていた。

 次に、読売新聞だ。こちらも「天皇陛下 生前退位を示唆」と「生前退位」を用いた。日本経済新聞も同様である。世界日報はどうだろうか。世界日報も「生前退位」を用いた。社説も同様である。

 この「生前退位」という言葉だが、非常に不敬に思う。そして、保守系と呼ばれる新聞が、左派系の新聞と同じように「生前退位」を用いていること自体に、非常に強い憤りを覚える。「生前退位」であるが、本来であれば「譲位」と用いるべきだ。私が見出しをつけるならば、「天皇陛下、譲位を示唆す」などと表記するだろう。「生前退位」と「譲位」とでは、全く異なる。「生前退位」を分析するには、「生前」と「退位」の二つに分解しないといけない。「生前」とは、国語辞書の大辞林によれば、「死んだ人がまだ生きていた時」とある。つまり、死者に対して用いる言葉である。そして、存命中の人間に用いる場合においては、何かしらの事情で死期が近いときに用いる。「生前贈与」という場合などだ。

 つぎに、「退位」であるが、大辞林によれば「帝位・王位を退くこと」とある。つまり、単に君主がその地位を退くだけで、その先には王朝の崩壊が待っている。「ラストエンペラー」として有名な愛新覚羅溥儀皇帝の退位による清朝の崩壊などだ。しかし、「譲位」の場合には君主が後継者に君主の位を譲り、王朝は継続することを意味している。日本の歴史では、天皇が譲位して太上天皇つまり上皇になり、院政を敷くということは度々あった。そして、明治になり皇室典範を起草したときに、院政による諸問題を勘案して譲位の規定を盛り込まず、終身制になった。それ以来、天皇の譲位はない。

 このように考えれば、「生前退位」などという言葉が、非常に不敬な言葉であり、不吉な言葉であると分かるだろう。我が国には、言霊の概念があるのだから、尚更のことである。にも関わらず、言葉のプロフェッショナル、ときには教材としても使われる新聞が、そして日本を守る立場の保守系の新聞が、このようなことでは非常に大問題なのである。

 この問題を批判したかったのか、一部の保守の政治家は「ご退位(または譲位)でいいじゃないか」などと判していたが、残念ながらブーメランとなっている。退位と譲位では、全く別であるからだ。用いるならば、譲位しかないのである。また、どんなに自虐史観の歴史教科書ですら、譲位と用いられている。前述したように、院政について述べる部分においてだ。

 最後に、私の生まれ故郷である沖縄のメディアはどう報じたかについて分析したい。沖縄二紙のうち、琉球新報しか確認していないが、その電子号外では「天皇、退位に強い思い」と、陛下の敬称も付けずに報じた。さすが、琉球独立論を論じるだけの新聞だと、逆の意味で感服した次第である。しかし、翌日の朝刊では1面トップで報じて、少なからずの良心を見せた。

 問題は、沖縄唯一の良心である八重山日報である。いくら、尖閣諸島が石垣市の行政区域で、ローカルニュースであり、また国家の安全保障の危機とはいえ、天皇陛下のお言葉の報道をトップニュースとして位置付けない紙面構成だったのは、非常に残念である。我が国の領土はもちろん大事だが、もっとも大事なのは国体であり、皇室である。それは、皇室なき日本はもはや日本ではなく、別の共和制国家だからだ。沖縄出身として、日頃から八重山日報には期待していただけに、そのショックは非常に大きい。今回は、琉球新報に軍配が上がったといえよう。

 戦後、歴史的仮名遣いなどが失われたと言われてきた。私は、そこまでは求めない。新聞はすべて歴史的仮名遣いにせよとは言わない。私も、戦後世代であり、そしてゆとり世代でもあるため、歴史的仮名遣いなどは苦手である。しかし、最低限度の敬語や敬称は守られるべきであると私は考える。

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