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いつもの母の手料理に幸せを感じ

 母は料理が上手い。若いころに栄養士の資格を取ったというだけあって、いつも私が学校やバイトから疲れて帰ってくると、舌鼓を打たずにはいられないほど美味しい料理が何品も準備されているものだ。丹誠を込めて味付けされたビーフシチュー、程よくスパイスの効いたとろとろの麻婆豆腐、手作りの特製タレに漬けて食べる具だくさんのチヂミ……、母の得意料理の数知れない。いや、彼女の料理は例外なく美味しいので、作ったものは自動的に得意料理リストへ組み込まれていくようでさえある。

 私たち家族はそんな母の天性の料理の腕前により、毎日美味しいご飯を食べ、それを糧として生活できているわけだが、母の料理の美味しさを最もありがたく感じるのは外食をしているときだ。

 先日、大学の仲良しメンバー数人とともに、とある新宿の居酒屋を訪れた。留学に行く友人たちと顔を合わせる最後のチャンスということで企画した集まりだった。お店に通してもらい、店員からメニューを渡され、誰それがまだ来ないだの、この前のテストの出来が散々だっただのと騒ぎながら前菜とドリンクを選んだ。注文を終え、しばらく待ってから運ばれてきたアボカドソースのディップや揚げ餃子を嬉々として口に運んだ時、自分の想像していたものより劣る味にいささか物足りなさを覚えた。そして次の瞬間「母の作るソースのほうがもっと味付けが丁寧だし、母の餃子はこんなに粉っぽくないのになぁ」という思いが自然に湧いた。お金を払って大したことのないご飯を食べなくても、家に帰れば母の絶品料理を気兼ねなく食べられる、という素晴らしさを再確認した。

 母の料理が美味しい理由には、母の料理の腕そのものに加えて、一緒に食べる家族の存在が大きいとも感じる。私の家族は7人家族で、全員がそろって食卓につくことはあまりないにせよ、1人が食事をとるときには誰かしらが向かい側で同じように箸を動かしている。そして弟妹たちの、中学校で仲の良い友達と悪ふざけをして先生に怒られた話を聞いたり、人気漫画の新刊が出たという話に耳をそばだてたりする。互いの1日の出来事や他愛もない会話が、母の美味しい料理を味わうひと時をよりいっそう華々しいものにしてくれるのだ。その証拠に、1人でもそもそと食事をするときにはふと虚しさを感じることが多い。

 特別な日なわけでも何かを頑張った日なわけでもないのに、悠然と私を出迎えてくれる母の心のこもった手料理。忙しい朝の時間帯ですら、しっかりと栄養を配慮してフライパンをフル稼働させ、火の通った食事を準備してくれることも少なくない。こんなに美味しく手の込んだ料理を毎日食べさせてくれる母がいて、私たち家族は本当に幸せ者だなあと感謝せずにはいられない。

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