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受け継がれてきた桜を愛する和の心

 桜前線が全国的に伸びている現在、お花見に出かける方も多いのではないでしょうか? 桜の下にブルーシートを敷いて宴会を行う日本人の様子は、外国人観光客には不思議な光景として映るそうです。外国にも桜を愛でる風習をもつ国はあるでしょうが、日本人のように桜を見ながら食べたり、呑んだりする国は珍しいのでしょう。日本人は桜を特別に愛している。それを知っている外国人が増えてきているようですが、なぜ、日本人はこんなにも桜に対する思いが強いのでしょうか。日本全国各地にソメイヨシノが植えられ、春になったら淡いピンク色の花が咲く姿が美しく感じられ、桜を愛でたくなる。現代人の感覚としては、花見は文化、古来からの風習のように思えます。

 では、桜と日本人はいつから関係性が深まっていったのでしょうか? 日本人が桜を愛でるようになった時代へ戻り、日本人が桜へ思いを寄せるようになったきっかけを見てみましょう。

平安時代から変化した「花」の意味

 日本人と桜の関係はいつの時代から続いているのでしょうか?

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 日本最古の和歌集「万葉集」の中には既に桜の美しさを詠む歌が存在しています。その歌では大抵「桜」のことを「花」と表現しているのですが、「花=桜」になったのは平安時代からでした。

 奈良時代は中国文化の影響が強かったため、和歌では「花」といえば「梅」を指していました。万葉集においては、梅の歌118首に対し、桜の歌は44首。当時は梅の愛らしさを詠む歌が主流だったのでしょう。

 平安時代になってからは、国風文化が育つにつれて、徐々に桜の人気が高まり、「花」といえば「桜」を指すようになっていったのです。平安時代には桜が咲く時期に、宮廷で花見の宴が催されていました。源氏物語には、「花の宴」という巻があり、貴人が宮廷で花見の会を催す描写があるほど、歌人、貴人はこぞって桜を愛でるようになっていきました。

 平安時代前期の勅撰和歌集「古今和歌集」の四季歌の春歌は、上・下あわせて134首あり、そのうち73首と半分以上が桜を詠んでいます。例えば、平安時代の歌人である紀友則の歌、「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ」の「花」は桜を意味しています。また、在原業平は、「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と、直接的に桜という言葉で詠んでいます。このような歌人の中でも平安末期の西行法師が、特に桜を愛していました。西行は吉野の桜を多く歌にしており、特に「願はくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」の歌は有名になっています。
 平安時代では歌人だけではなく、天皇も桜を愛しておられました。例えば、嵯峨天皇は桜を愛でるために花見を開いたとされています。また、左近の桜は、元は梅であったとされるが、桜が好きであった仁明天皇が在位期間中に梅が枯れた後に桜に植え替えたとされているのです。

 平安時代以降、「醍醐の花見」をして派手に桜を愛でたことで有名なのは豊臣秀吉。醍醐寺に700本の桜を植えさせ、慶長3年に近親の者や、諸大名を従えて盛大な花見を催したとされています。

 江戸時代には、河川の整備に伴って、護岸と美観の維持のために柳や桜が植えられるようになっていきました。江戸末期に出現したソメイヨシノを始め、明治以降には加速度的に多くの場所に桜が植えられていき、現代へ桜を愛でる風習が受け継がれてきたのでした。

桜の魅力にあてられて

 日本人と桜の関係性が古の時からあったということは、日本人のDNAに桜を愛でる精神が宿っているに違いないと思ってしまいます。枝を伸ばして派手に花をつけるソメイヨシノが主流ですが、緑色の中にぽつん、ぽつんと薄桃色の存在感を出すヤマザクラにも愛らしさを感じます。満開に咲き誇った瞬間から散ってしまうことは残念にも思えますが、この儚さが桜をより一層美しく見せてくれます。

 太陽の柔らかい日差しを受けながら、枝の先までいっぱいに桃色の花をまとった桜の木。優しく身を包んでくれる春の風に身を任せ、花弁がひらひら宙に舞う。それを見つめるあの人は、一体何を思うのだろうか。

 ついつい詩的な気持ちにさせてくれる桜の魅力。日本人の誰もがその魅力にあてられているからこそ、桜へ強く惹かれる思いを歌にのせるのでしょう。その歌を口ずさみながら、桜の下で宴会を開く日本人の姿。古の時から続く風物詩は、これから先もずっと変わらないのではないでしょうか。

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