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憲法はなぜ今改正しなければならないのか?

 この疑問にとても簡単に回答ができると思います。

 それは「時代にそぐわなくなったから」です。

 昭和20年8月15日に敗戦を迎え、都市部はほとんどが焼け野原にされてしまいました。多くの労働力が動員され、炭鉱などの基幹産業においても朝鮮半島出身者を雇用しなければ足りない状況に陥っていました。

 そして進駐軍がマッカーサー元帥に率いられて来日し、日本の占領政策が始まったのです。

 アメリカは大戦前は国際社会(欧州が中心の世界観)の中では二流国であり、宗主国だったイギリスからは豊かだけど野卑な国として一段下に見られていました。

 しかし第二次世界大戦でアメリカが演じた役割はとても大きく、戦後世界の覇権を握るようになります。

 戦前、日本は東洋の取るに足りない小国だとアメリカの政治家は見ていました。そしてアジアの安定のために手を結ぶのは蒋介石率いる中華民国だと。

 しかし、軍人たちは素直に日本の実力を評価していました。欧州が主戦場になっている今、太平洋で開戦すれば苦境に陥ることを一番理解していたのは軍人たちだったと思います。

 なぜなら戦の最前線に行くのは軍人たちであり、本国で会議に無駄な時間を使っている政治家ではないからです。

 案の定、太平洋戦線に火が付くと、米軍は苦戦を強いられ、航空機も軍艦も日本軍のものとは比べ物にならないくらい旧式のもので戦わなければならなかったのです。

 ミッドウェー海戦も、最後の最後に米軍が勝利しますが、戦いの全般を日本軍が支配していたのです。

 索敵という戦の基本を怠った日本軍はいくつかの戦術的なミスが重なり、正規空母4隻を失います。

 ここで大切なのは、失った航空母艦はまた作ればいいのですが、そこに乗艦しているベテランの整備兵たちや搭乗員たちはすぐには補充できません。それを失ったことがその後の戦いの劣勢を決定づけたものだったのです。

 乗艦している空母をまるで我が家のように操り、どこに何があり、どうすればよいのかを熟知している将兵がいてからこその戦力です。

 物量に負けた戦ですが、それ以上に将兵の育成が追い付かなかった戦でもあります。

 それでも高い精神性を持って戦った日本軍は米軍のとてつもない脅威となります。その脅威を取り除くための占領政策がGHQ(進駐軍)の政策だったのです。

 たくさんの日本人を骨抜きにする政策が実施されますが、その政策の根拠となるものが、日本が主権を持っていない間にアメリカ主導で作られた「日本国憲法」なのです。

 とうぜん、当時の日本人たちも占領下における憲法制定は国際法違反だと批判しますが、極東軍事裁判が始まろうとしている最中、日本をもっと驚異だと思っているソ連が日本に入ってきて、天皇の廃位を企んでいるとの情報が流され、アメリカも急いで新憲法をつくろうとし、日本側に天皇陛下を護るために協力しろと脅して作ったのが日本国憲法です。

 この詳しい経緯は、白洲次郎という吉田茂の側近だった人の本を読むとそのくだりが出てきます。

 この白洲次郎という人は、イギリスに留学経験があり、見事なクィーンズイングリッシュを操ったと言われています。だからGHQの高官から「あなたの英語は素晴らしい」と社交辞令を言われた時、すかさず「あなたももう少し勉強したらよくなりますよ」とクィーンズイングリッシュで切り返したのです。

 まだ野暮なアメリカンイングリッシュだった時代です。その高官はとても腹を立てたそうですが、ちょっと気取った王侯貴族の英語は、カウボーイ英語よりも上位にあったという良い例です。

 日本は聖徳太子の昔から「背私向公」という私事に背を向けて、公に向かって生きる生き方がよしとされてきた民度の高い国でした。

 それは自分のことは一歩引いて、公を優先させることにより「世のため、人のため」を実現する人にやさしい国柄だったのです。

 しかし、日本国憲法では「個人の権利」を最優先にしているため、先日の車いすの女性のように自分の権利を主張しすぎて皆から顰蹙を買うようなことが起きるのです。

 お互いに思いやりの心があれば、こんなにぎすぎすしなくてもいいし、私も障碍者である彼女を批判しなくても済みました。やはりそういう人を批判することは心苦しいものなのです。

 日本は昔より「尚武」を尊ぶ国でした。しかしその強さは常時誇るものではなく、いざという時に出すものでした。

 大人(おとな)という言葉から、「おとなしい」という言葉があるように、大人は静かに構えており、いざという時に女や子供を守るために命を懸けて戦い存在なのです。日本語はもともと大和言葉で表音文字です。その音に漢字をあてているだけですが、ちゃんと見たらそれを当てている意味がよくわかります。

 自分の強さをひけらかすのではなく、普段は物静かに、そして一旦火急のことが起きれば、鬼神の如く振舞うのが日本人であり、強い人は日ごろは武の象徴である弓を飾っているので、「弱く」見えることもあるのです。

 その羽根で飾ってしまってある弓をいざという時は取り出して弓を引くのが「強い」という文字となります。

 しかし、日本国憲法では9条でそれさえも禁じているのです。まったくおかしな話ですね。

 お国柄に即した憲法を私たちの手で作るときが来ています。

 自衛隊の皆さんは勇敢で尚武の気風を十分の備えています。あとは、手かせ足かせを外すだけで、今の戦力の倍を保有するくらいの抑止力となり、日本国民がもっと安全に生活できるようになるのです。

 今日は5月3日、憲法記念日です。

 とうの昔にその役割を終えた現行憲法を時代に適合した憲法に私たちの手で変えましょう。議論をすべき時です。議論をしない議員には速やかに退場してもらいましょう。


「井上政典のブログ」より転載
https://ameblo.jp/rekishinavi/

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