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なぜ東南アジアに白人国がないのでしょうか

みなさんは、「なぜ東南アジアに白人国がないのか」と考えられたことはおありでしょうか。

欧米による植民地支配が、東南アジア諸国よりも早い段階で行われたのは南米です。
かつて南米には、スペイン、ポルトガルがやってきました。
そしてアルゼンチンやウルグアイは、完全に白人だけの国家になりました。
そこでは先住民の文明も、種も、痕跡さえなくなっています。
そこでは先住民族たちが、ほぼ完ぺきに抹殺されました。

同じ南米でも、エクアドルやペルー、ボリビアなどには、原住民系の顔立ちの人たちが数多くいます。
けれど彼らは、支配階級が白人の純血種、そして先住民系の人たちは貧困な被支配層となっています。
そして彼らは100%白人種との混血です。
そして先住民たちが、かつてもっていた文明は、言語習俗習慣さえ、完全に喪失しています。

では東南アジア諸国はどうでしょうか。
不思議なことにアルゼンチンやウルグアイのように完全に白人だけの国になったところはありません。
なぜでしょうか。

実は理由があるのです。

スペインやポルトガルが東亜地域にやってきたとき(そのときはイギリスなどもやってきていましたが)、日本は信長の時代の天正年間でした。
そして天正年間以降、日本は従来からの八幡船(ばはんせん)よりも、さらに船舶を大型化した末次船や荒木船を開発し、東亜の海へと乗り出して行っていました。

これら末次船や荒木船を用いた交易船舶のことを朱印船と言います。
朱印船は、船舶の長さがおよそ50メートルで、最大乗船員数が300人。
それまでの八幡船とは比較にならないほどの大型帆船でした。

信長から秀吉の時代にかけての日本人は、この船に乗って、遠く越国(ベトナム)や、シャム(タイ)、ロッコン(マレーシア)、ルソン(フィリピン)、ジャワ(インドネシア)、天竺(インド)にまででかけ、そこで日本人町を作ったりもしていました。
山田長政などが活躍した時代でもあります。

そしてこの時代、スペイン、ポルトガルやイギリスなどが、南米と同様、東亜諸国への進出と傍若無人を働こうとしたのですが、これに対して倭人たち(日本人)が、敢然と挑み、彼らの不法行為を許しませんでした。

結果、東亜諸国では、白人種によって完全に滅ぼされて、現地の人の血が絶える、あるいは完全に混血してしまうということが、あまり起こらず(あまりというのは、南洋の小さな島国では完全に混血してしまったケースもある)、一定規模以上の国は、すべて人種を維持することができたのです。

そしてその影響は、日本が鎖国を行った江戸時代に入っても、そのまま残りました。
あまり過度に現地を刺激して、日本を怒らせて日本が再び東南アジア諸国に出てくることがあれば、白人諸国はせっかく手に入れた東亜諸国を失うことになってしまうという危機意識が、彼らの中に残ったのです。

これは東亜の歴史を考える上で、とても重要なことです。
なぜなら、もし信長から秀吉の時代に、日本が東亜諸国との交易に進出していなければ、東亜諸国のなかのいずれかは、アルゼンチンのような白人国になっていた可能性があることは、否定できない事実だからです。

え?そんなこと聞いたことがないって?

いやいや、戦前戦中までの日本の国史の教科書に、そういうことがちゃんと書いてあったのです。
もちろん小学生向けですから混血のことまでは書かれていません。
けれど、天正年間に日本人が東亜諸国で公正な交易を行い、白人諸国の不正を許さず、不正があれば、日本人が敢然と彼らと戦い、これを打ち負かし、条理を貫いたという事実は、ちゃんと書かれていました。

ここで述べようとしていることは、今の教科書が劣っているとか、戦前戦中までの教科書の方が上だとか、そういった上下をつけることや、戦前戦中と現代とを対立させるとかいうことではありません。
戦前戦中の教科書には、それなりに良いところがあるし、いまの教科書の方が優れているところも、たくさんあるのです。
申し上げたいことは、そのような「対立的な思考」を、まず排除していただきたいということです。

そのうえで、この記事を通じて何を言おうとしているのかというと、タイトルにある「なぜ東南アジアに白人国がないのでしょうか」という単純かつ素朴な疑問です。
そうした素朴な疑問を持つこと、その素朴な疑問から目を離すことなく、そこから自分なりの考察を深めていくことが、とても大切だ、ということを申し上げたいのです。

繰り返しもうしあげていることですが、人が生きていれば、必ず問題が起こります。
これは会社などの組織でも同じです。
組織が動いていれば、必ず問題が起こるのです。
ですから「問題がある」、あるいは「問題が起こる」ということは、物事が動いているということの証(あかし)であって、実はとても良いことです。

この点、よく会社などで、「あいつは問題をよく引き起こすやつだ」みたいなことが言われて、問題児=否定的存在とされることは、とても残念なことに思います。
問題が起きるということは、それだけその社員(スタッフ等)が、一生懸命、たくさんの仕事をこなしているということの証(あかし)だからです。

そして問題というのは、かならず解決可能な問題しか神様は与えないのですから、問題解決のために智慧をしぼります。
そこから成長が生まれます。

手塚治虫といえば、押しも押されぬ「マンガの神様」と呼ばれる偉大な漫画家です。
「火の鳥」や「ブッダ」、「ブラックジャック」、「三つ目がとおる」など、数々の名作をのこした偉大な漫画家として知られています。
けれど、そんな手塚治虫だって、みずからが作った虫プロダクションが倒産して、多額の負債を抱え込んでにっちもさっちもいかなくなった時代があったのです。
しかもその頃、手塚マンガが市場から飽きられて、売れなくなる、連載も打ち切られるといったつらい時期を経験しています。

当時は劇画が流行した時代でした。
子供向けマンガに近い画法の手塚マンガは、そうした劇画派の人たちからずいぶんとこき下ろされましたし、手塚はもう終わったという人もいたし、実際、手塚マンガがまったく売れなくなったのです。

それでも手塚治虫は、決してあきらめませんでした。
なんとか頑張ってマンガを書き続けようとしていました。
そんな手塚治虫に当時『少年チャンピオン』の編集長が、かつての偉大な漫画家の最期を看取ってやろうという仏心で連載を開始したのが「ブラックジャック」でした。
これが大当たりし、手塚治虫は、まさに不死鳥のごとく復活を遂げたのです。

けれど振り返ってみれば、手塚治虫にとって、そんな冬の時代、つらい時代があったからこそ、まさに普及の名作と呼ばれる数々の作品を世に残すことができたのだと思います。
生きることは試練の連続です。
その試練に打ち勝つ、もう立ち上がれないと思うほどつらい経験をして、そこから這い上がるために何が必要なのかといえば、自分の原点に帰ること、現状の自分のあり方に素朴な疑問を持つこと、その素朴な疑問から目を離すことなく、そこから自分なりの考察を深めることが、結果として、新たな人生を切り開く鍵になるのではないかと思うのです。

歴史は、そういうことを学ぶためにある。
そんなふうに思います。

お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/

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