«
»

外国や外地の文化を尊重した日本

歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

戦時中の国民学校(いまの小学校)5年生の国語教科書から、「草原のオボ」をご紹介します。
モンゴルの大草原のお話です。
小学校の教科書で扱われる物語は、歴史であったり地理であったりしますが、それらは身近な物語として紹介されます。
戦時中の国語教科書に、このようにモンゴルの大平原の様子が挿入されたのは、戦前戦中の日本にとって、モンゴルの平原が身近な存在であったことを示します。

そしてこの物語にあるような教えを受けた日本人にとって、外地は、満蒙から南太平洋の島々、東亜諸国を含めて、それぞれの国が持つ文化は、あくまでも尊重の対象であったということを、是非知っていただきたいと思います。

このことは、諸外国が領土とした地域を完全支配下に置き、それら諸国の文化等を全否定したことと、まったく真逆の行動です。
そして日本だけが、そうした真逆な行動をとったことで、いまなお日本が侵略したのだ、植民地支配下に置いたのだという風説がまかり通っているのは、とても残念なことです。

*******
草原のオボ
(文部省・初等科国語五より)

蒙古の大草原を旅する者は、あちこちにあるオボを目当てに歩いて行く。
オボというのは、地の神をまつるために、蒙古人が供えた一種の土まんじゅうで、小高い岡に作られたり、泉のそばにもうけられたりする。
その上に、楊(やなぎ)の枝をたばねて突きさしたのがあり、石ころを積み重ねたのがあり、柱を立てて、それに字を書いた旗を結びつけたのがある。

文字通り大自然のふところに生まれ、そこで死んで行く蒙古人たちにとっては、天と地が生命の父であり、母である。
おのずからこれにたよる心がわき、いつとはなしに信仰となって、このようなオボを作り、大地をまつるようになった。

見渡すかぎり広々として、何一つ目にはいらない草原では、たとえ小さなオボでも、旅をする者には実に大きななぐさめであり、また心強い目じるしである。
草原を海にたとえれば、オボはまさにその燈台である。
旅に出かけて行く人が、オボの前を通る時には、
「どうぞ、無事に旅をすることができますように」と祈り、またその帰りには、
「おかげで、帰ることができました」と感謝の祈りをささげる。
そのお礼のしるしとして、石ころ一つ積み重ねたり、楊の枝を立てたりするので、オボは、いつとはなしに少しずつ大きくなって行く。

夏の初め、草原があざやかなみどりにおおわれるころ、オボの祭がもよおされる。
この時は、遠いところからたくさんの人が集って来て、たいへんなにぎわいである。
きのうまで木一本もなかったような草原に、たちまち町ができる。

儀式は、夜明け前の暗いうちから行われる。
まず僧の祈りに祭典が始り、火をたいたり、太鼓をたたいたり、ラッパを吹いたりする。
参拝するものは、子ひつじの料理をあげたり、手製のチーズやバターなどを供えたりする。

オボのそばには、馬や、牛や、ひつじなどがつながれる。
これらの家畜は、神にささげるものとして、その年の春に生まれたものの中からえらばれたものである。
僧は、この家畜の一頭一頭に祈りをささげ、喜びの歌を歌う。

そのうちに東の地平線が白み、まもなく夜が明けて朝日ののぼるころには、もう儀式は終っている。
式後、神に供えられていた馬や、牛や、ひつじなどは、それぞれ家畜の群にはなされる。
一度こうしてオボの祭にえらばれた家畜は、決して売ったり、殺したり、乗用にしたりすることができないことになっている。

余興として、勇ましい競馬があり、いかにも大陸的な蒙古ずもうが行われたりして、祭の気分は高まって行く。
楽しいにぎやかな祭がすむと、みんなどこか遠いところへ散らばってしまう。
それはちょうど、潮がさっと引いて行くようである。
そうして、またもとのひっそりとした大草原にたちもどり、オボだけが大地にぽつんと残されるのである。

*******

お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/

2

コメント

コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。