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「慰霊の日」式典、なぜ会場を変更したか?

沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)

 私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません――

 2009年にヒットした秋川雅史の「千の風になって」の一節だ。糸満市摩文仁の沖縄県平和祈念公園の平和の礎を考案した沖縄戦ノンフィクション作家の上原正稔氏は現在、平和の礎の前の広場で行われる沖縄全戦没者追悼式の在り方に疑問を唱える一人だ。平和の礎は刻銘碑であり、戦没者の御柱は同公園の高台の国立戦没者墓苑にあるのだ。

 玉城デニー知事は5月15日の定例記者会見で、6月23日の「慰霊の日」に開催される戦没者追悼式について、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため規模を大幅に縮小し、国立沖縄戦没者墓苑で開催する方針を正式に表明した。

 県の担当は「かつての激戦地であり、約18万柱の遺骨が納められている。み霊を慰める場所としてふさわしい場所だ」と補足した。同墓苑の遺骨は、糸満市にある魂魄(こんぱく)の塔に納められていた摩文仁一帯の約3万5千柱の遺骨が1957年、那覇市識名に建設された戦没者中央納骨所に移され、79年に他の遺骨と共に現在の墓苑に移されてきたという経緯がある。

 ところが、玉城知事は5月29日の記者会見で、会場を従来通り平和祈念公園の広場に戻す方針を示した。県内のコロナウイルス感染が落ち着いていることを理由に、規模を50人から200人に増やすためだという。石原昌家沖縄国際大名誉教授ら反戦論者は、県に対して式典開催場所を従来の広場に変更するよう要求していた。

 ここ数年の式典の知事メッセージでは日米両政府に批判的な政治色が色濃く出ている。参加人数を小規模にし、戦没者墓苑で開催することは、本来の慰霊の趣旨に近づくものと期待していたのだが。

(T)

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