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日本は天皇の知らす国

「日本は天皇の知らす国」
このことを受け入れて、天皇の臣民として生きる道を選ぶ者が日本人です。
そうでない者は、日本で生まれ育ち、日本に住み、日本語を話していたとしても、日本人ではありません。
これは神々の御意思です。

original
画像出所=https://botanica-media.jp/103

日本とはどのような国であるか。
その答えは
「日本は天皇の知らす国である」
という以外にありません。

「知らす」の意味がわかりにくければ、「日本は天皇を国家最高権威と仰ぎ、その天皇のもとに臣民が『おほみたから』とされる国である」と置き換えても良いです。
これこそが日本の古来からの形です。

世界中どの国においても、あるいは世界の歴史上登場するいずれの国においても、国家最高の存在は、常に国家最高権力者です。
これは現代においても同じです。
「そんなことはない。大統領は選挙で選ばれる」と仰られる方がおいでかもしれませんが、選挙によって選ばれた後、つまり任期中は間違いなく国家最高権力者です。

国家最高権力者であれば、反対派を粛清、殲滅、抹殺することができます。
なぜなら、そうすることができるのが国家最高権力者だからです。
いまの日本を見て、「そんなことはない。総理はいつも野党やマスコミに叩かれているではないか」と思う人がいるかもしれません。
それは事実誤認というより、意図的に導かれた錯覚です。
なぜなら日本における総理は、他国の大統領や国王や書記長などと異なり、単に行政府の長にすぎないからです。

実際には、我が国において総理が戒厳令を敷けば、そのときには内閣総理大臣がはじめて国家最高権力者といえる存在になります。
それを、実際上は最高権力者ではないのに、これをあたかも最高権力者であるかのように偽装するのは、単に野党の党利党略で、あたかも総理が国家最高権力者であるかのように偽装して、その総理を叩くことで自分たちの存在感を示そうとしているにすぎません。
その意味では、現在の野党による総理追求は、無責任な者が、無責任にパフォーマンスを繰り広げているにすぎません。
国政における各種審議会が、もりそばが良いかかけうどんが良いかなどと愚にもつかないまるで小学生の児戯になってしまっている理由は、まさに無責任なパフォーマンスが日々展開されているにすぎないのです。

本来、権力は、責任とセットです。
けれど、国家最高の存在が、国家最高権力者ならば、その国家最高権力者が責任を取ることはありません。
なぜなら責任追及してくる者があれば、その者を粛清できるのが、国家最高権力者が持つ権力の実体だからです。
早い話、よその国に核爆弾を2発も投下して、何十万者人々を殺しても、その決断をした国家最高権力者を裁く人はいません。
なぜなら国家最高権力者は、責任を負わないからです。

ということは国家最高権力者は、同時に国家最高無責任者であるということです。
企業における最高権力者は、代表取締役社長です。
けれど、その社長が、自社についてあらゆる責任を負わない人であれば、その会社は当然につぶれてしまうことでしょう。
世界の歴史において、強大な国家が度々登場していながら、それらの国家が300年を待たずして崩壊してきたのは、まさにそこに理由があります。
なぜなら、無責任者が権力を振りかざすことほど、恐ろしいことはないからです。

では、国家最高権力者に、常に責任を負わせるためには、どのようにしたら良いのでしょうか。
答えは、国家最高権力者よりも上位に国家最高権威を置くことです。

国家最高権威は、権威ですから、権力は持ちません。
代わりに国家最高権威は、国民を「おほみたから」と規定します。
国家最高権力者は、国家最高権威の部下ですから、その職務は国家最高権威の「おほみたから」が、豊かに安全に安心して暮らすことができるように責任を持つことが使命となります。
これが7世紀に造られた、我が国の基本となる形です。

これを古い日本語で「しらす」と言います。
「しらす」は、「知らす、治らす、統らす、道らす」など、様々な漢字を用いて表現されますが、いずれも天皇が国家最高権威として、国民を「おほみたから」とすることを意味する語です。

そして、この仕組こそが人類社会における理想の社会形態です。
なぜなら、この仕組を権力者の立場から見れば、天皇のたからたちが、豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことに責任を持つことが職務となります。
国民の立場からみれば、天皇という国家最高権威の存在によって、自分たちが権力者の私物にならずに済むというメリットがあります。
つまりそれは、民衆に権力からの自由が与えられていることを意味します。

ということは、我々日本人が、本来の自由を手に入れるためには、いまの野党のように無責任に政府の責任追及を延々と繰り返したところで、何も変わらない。
変えようとするならば、我が国が天皇の知らす国であることを、根本的なところでまず再確認することこそが大事なことであるということになります。

それは民衆こそが国のたからであることを、天皇の「おほみたから」であるということをもって明確に宣言することになるからです。

ひとつの例を申し上げます。
イスラエルは、ユダヤ教徒であることが、イスラエル人としての要件としている国です。
出自、家柄は関係ありません。
ユダヤ教徒であるかないか。
それがイスラエル国民かどうかの基準です。
したがって、ユダヤ教を辞めれば、その瞬間からイスラエル国民ではなくなります。

イスラエルは、新興国ですが、日本は歴史ある世界最古の国家です。

「日本は天皇の知らす国」
このことを受け入れて、天皇の臣民として生きる道を選ぶ者が日本人です。
そうでない者は、日本で生まれ育ち、日本に住み、日本語を話していたとしても、日本人ではありません。
日本人でない人たちは、日本に住んでいても、日本国民としての行政上のメリットも本来は与えられるべきではない人たちです。
ところが現在の日本は、それが逆転しています。

このこともまた、今回の新型コロナウイルス戦争の渦中において、明確にされていくことです。
日本は変わります。

お読みいただき、ありがとうございました。


「ねずさんのひとりごと」より転載
https://nezu3344.com/blog-entry-4453.html#more

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