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アフター・コロナ、復活する独裁体制との戦い

 新型コロナウイルスを巡る問題は、世界の指導者に対して「いずれの国が新型コロナウイルス問題に打ち勝つことができるか」という課題を設定している。そして、現在のところ、世界の独裁国家の指導者たちは自分たちの政治モデルが自由主義・民主主義国よりも効果的に機能していると主張している。そして、民主主義国においても政治指導者が新型コロナウイルスへの対処と称し、プライバシーを始めとした様々な私権への介入を正当化している。

 我々は新型コロナウイルスという目に見えない敵と戦っている。この戦いに打ち勝つことはワクチンが開発されて“未知の脅威”が“既知の病気”に変わることによって最終的に果たされる。これは病原体と科学者の戦いであり、我々自身ができることは感染拡大を防ぎ、医療崩壊を抑止することぐらいであろう。場合によっては集団免疫をつけるということも選択肢としてはあり得る。

 ただし、我々は同時に独裁国家との政治体制の競争を行っているという認識を持つべきだろう。

 感染拡大を防ぐため、という名目で、政府はあらゆる政策オプションを選択することができる。政府は交通制限、行動調査、施設閉鎖、自宅待機強制などの手段を取って私権を制限することができる。新型コロナウイルス対策のために私権制限に踏み切るためのステップに容易に一歩踏み出すことが可能となり、それは問題が収束した後にも私権制限の実績として残ることになる。また、性質が悪い政権であれば、汚職政治家が選挙を延期するとともに、自らを追い詰める可能性がある捜査機関や裁判所を感染拡大を理由に閉鎖することすら可能かもしれない。こちらは直接的に腐敗の拡大に寄与していくことになるだろう。

 これらの政策が徐々に実施されていくことで、我々の社会は独裁国家のモデルに近づいていくことになる。そして、それは我々の社会よりも独裁国家の政治モデルが優れているという政治的主張を国内に生み出していくことに繋がるだろう。中長期的な視点に立てば、これらの主張が拡大し、我々の国の自由主義・民主主義の機運が後退することを真の危機と捉えるべきだ。この政治モデルの競争こそがアフター・コロナの世界を規定する重要な課題となる。

 そのため、我々は一見して面倒なプロセスを踏んでいるように見えても、私権に最大限に配慮した上で、民主的手続きを踏まえる行為を最大限に評価するべきだ。その意義や効用について冷静に議論し、決して力強いリーダーシップへの依存を求める弱い心に屈してはならない。科学者たちの戦いととともに、我々国民も自由社会の一員として敵と明確に対峙しているという自覚が必要だ。

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