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災害を被害にすり替えてはいけない

先の大戦では日本各地の大都市では空襲は受けるし艦砲射撃は受けるしで、まさに焼け野原になりました。
しかも終戦直後の日本は、経済的にはまさに世界の最貧国です。
食べ物もないし、住むところもない。働くところも焼けてしまっている。
空襲や艦砲射撃で被災した都市部でも復興のための国家財源など何もありません。
しかも国中がその状態です。

ところが戦争からわずか2年足らずで、日本はまたたく間に復興を遂げてしまいました。
昭和22年には街の姿は大方、もとの通りに戻っています。
たった2年です。
有名な歌謡曲の「星の流れに」や、「東京ブギウギ」などが流行ったりしたのも昭和22年です。

たとえは悪いですが、東日本大震災が2011年です。
あれから8年が経過していますが、被災地は原状復帰には至っていません。
いまの日本は豊かであり、被災地も広域とはいえ日本全国というわけでもなく、しかも建設重機も十分にある。
にも関わらず、何もなかった終戦直後には、すぐに被災復興ができたのに、いまではそれができないのはなぜでしょうか。

実はその理由が、もともとの日本の建築物は、「壊れることを前提に築かれていた」というものです。
ですから城郭建築に見られるような高層建築の技術があったにも関わらず、我が国では木造の平屋が基準でした。
その木造建築も、鉄の釘が使われるようになったのは、近代以降のことで、それまでは建築に基本、釘は使われませんでした。
いわゆる木造軸組み工法によって建物が立てられていたのです。

我が国には日本刀があるくらいで、かなり古い時代から、鉄が用いられてきたにも関わらず、鉄の釘が最小限にしか用いられなかったのは、理由は簡単で、災害発生後の瓦礫撤去時に、釘があると危ないからです。
火災は起こるし地震もくる。
防ぎたい気持ちはやまやまだけれど、それは必ず起きるものです。
そうであれば、最初から瓦礫を撤去しやすいような建築物を用いる。
これもまた日本という災害列島において人が生きる知恵であったのです。

木造であれば、瓦礫の撤去は、コンクリートや石造りの家と比べて、比較的容易です。
片付けた木っ端は、ただ燃やすだけでなく、表面の焦げたところを削れば、柱材にもなるし、木切れでさえもお箸になります。
燃やした後の炭は、木炭になる。
つまり瓦礫さえも、再生利用が可能なのです。

燃えては困るお宝などは、木造の家屋内には置かず、土蔵にしまいました。
土蔵は土でできていて、周囲を漆喰(しっくい)で固めていますから、火災には強い。
ただし地震には脆いから、土蔵は大きなものは造らず、小さな土蔵をいくつも造りました。
箱は小さいほど地震に強いですから、土蔵(お蔵)は、あまり大きなものは造らず、だから商家などでは、お蔵が並んで建てられています。
あれは要するに震災対策なのです。

また、木造平屋建てで住宅を造る場合、延焼を防ぐために、大型の藩邸のような建造物の場合は、屋敷内に庭を置くこと、長屋のような集合住宅の場合、いざ火災となったとき、まとめて壊すことができるように、数世帯が細長いひとつ屋根の下に間仕切りだけで過ごすように造られていました。
いざというときは、その長屋を、まとめて引き倒すことによって、火災の延焼を防いだのです。

水害対策としては、たとえば江戸の場合であれば、いまの川口から足立区のあたり一体は荒川が増水したときに、そちら側に水を流しだすことによって江戸の町を守るという仕様で都市計画がなされていました。
北区は、隅田川と荒川に挟まれたところですが、ここもまた、増水時の貯水場とされていたところです。
ですから本来そこは、大水のときには、数メートルの水たまりとして、意図的に冠水させる(これによって江戸の町が水没することを防ぐ)ためのところでしたから、本来は人が住む所ではなく、広大な空き地にしてあったところでもあったわけです。

こうした一連の事実が何を物語っているかというと、災害対策のために、まさに官民をあげて、日頃からの備えをしてきたのが我が国の行政であったということです。

ところが戦後、そうした日本の歴史伝統文化を理解する識者や行政官僚、政治家などが、公職追放となり、新たにそのポジションに座ったのが、日本文化否定の左翼系の人たちでした。
彼らの歴史観は、常に「過去は遅れたものにすぎない」というものでしたから、それまでの災害対策のための伝統は一切合切破壊され、都市計画と称するその場しのぎの宅地造成が盛んに行われ、住宅建築も、米国式がかっこいいとばかりに、「計画」と称する場当たり的な対応が全国的に行われ、結果、災害に弱い国になってしまいました。

このブログで何度も申し上げていることですが、災害は起きるものです。
しかし被害は、人の力で克服することができるものです。
そんな簡単なこともわからないから、台風や地震、土砂災害や停電などが発生する度に、テレビのコメンテーターも、一部の左翼系政治家も、やたらに「被害」という言葉を連発します。
言葉の使い方が間違っています。

災害が起きれば、被災するのです。
その被災をいかに小さくとどめるか。
また被災しても、いち早く復興するために、どうしたら良いのか。
日頃からの備えとして、やらなければならないことは何なのか。
そのためにどのような都市計画を行い、どのように電力を供給し、どのような家屋を建設していくのか。
災害の多い日本では、それらは常に「国家百年の大計」に基づいて行われなければならないことです。

何か都合の悪いことが起きると、すぐに「論点をずらし」て「被害者」を声高に主張する国がありますが、天然の災害という自然界の脅威を前に、「被害」という言葉ばかりを連発しても、何の解決にもなりません。
たいせつなことは、それを国をあげて克服していくことにあるのです。

日本神話によりますと、日本列島ができたとき、神様は「つくり、かため、なせ」とおっしゃられたそうです。
その「つくり」に、昔の日本人は「修理」という字を当てました。
ですから「修理」と書いて、「つくる」と読みます。
「つくる」ということは、ただ作っただけではだめで、それを修繕しながら、使い続ける。

私たち日本人は、日本という災害大国から逃げることができないのです。
これが大陸ならば、土地を捨てて民族ごとどっかに行ってしまうという現象が起きます。
古くはフン族の大移動などもありました。

けれど日本人は、日本列島で生活しなければならないのです。
何があっても、そこで、みんなで力をあわせて、創意工夫して、修繕しながら生きて行く。
日本はそうやって時代を紡(つむ)いできた国です。

それともうひとつ。
今年の台風被災と、これによる大停電、大水害、大風害に際して、被災時に逃げてしまったタレント知事がいました。
そういう人物に、ただテレビに出ている有名人だからと選挙で投票してしまった人、そういう人物を県知事に選んでしまった人たちは、猛省をすべきですが、それと同時に、果たして「選挙」という制度が、天然の災害の多い我が国において、果たして西洋から輸入した制度のままで良いのか。
これについても、私達日本人はしっかりと考えていかなければならないと思います。

もし選挙という制度を、今後千年、維持し続けるとするならば、私達日本人は、選挙のあり方、政治の大切さについて、子供の頃からしっかりと教育していくべきでしょう。
災害対策という、人命に関わる極めて重要な政治を行うにあたって、あるいは実際に災害が起こり、その対策をしっかりと協議しなければならないときにあたって、国会で審議すべきことは、桜を見る会の予算をケチることなのでしょうか。

災害復興も中途半端なこの大事なときに、お花見に誰が招待されたかなど、はっきり言ってどうでも良いことです。
また災害発生時に、逃げてしまうような知事は、早晩、知事を辞めさせるべきです。
そもそもそういう政治家や県知事が、なぜ選ばれてしまうのか。

答えは簡単で、民度の低さと、制度の不備です。
民度を上げるには、国をあげて高い民度を示し、これを奨励していかなければならないし、そのために必要なことは、教育と、国民に直接影響力を持つメディアを、しっかりさせることであろうと思います。
メディアが、論点ずらし、被害者装いの韓流マインドでは話にならない。

日本はいま、戦後壊した様々なものについて、もういちど原点に返って見直しを図るべきです。

お読みいただき、ありがとうございました。


「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/

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