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  • 堂本かおる
    堂本かおる
    ニューヨーク在住フリーランスライター
    菊田 均
    菊田 均
    文芸評論家
    松本 健一
    松本 健一
    評論家
    中岡 弘
    中岡 弘
    著述家
    大島 直行
    大島 直行
    伊達市噴火湾文化研究所長
    時広 真吾
    時広 真吾
    舞台演出家
    渡辺 久義
    渡辺 久義
    京都大学名誉教授

    昔の女工さん

    徴用工のことが色々と取沙汰されていますが、もう5年も前になりますが、「偕行」の2013年12月号に元防衛研究所図書館長の大場昭さんが「ヘレン・ミアーズと日本」と題する論文を寄稿されました。
    これが実におもしろい。
    簡単に要約すると、次のようになります。

    ヘレン・ミアーズ(Helen Mears、1900-1989)女史というのは、戦前に来日した知日米国人です。
    この人が昭和10年当時の日本を本で紹介しているのです。
    ヘレン女史は、この年、大日本紡績の東京工場を視察するのですが、その工場には1600人の女子工員がいました。
    工場内には、工場と寮の他に講堂と医務室があり、医師、歯科医が常駐し、なんとプールまであったそうです。

    この工場でヘレン女史は、ツキさんという女子工員から、工場での様子をヒアリングするのです。
    ツキさんは当時16歳で、寮の15畳の部屋に10人で住んでいました。
    勤務は月曜から土曜日まで。
    早番と遅番があり、それは1週間交替で行われていました。
    早番のときは、起床が午前4時です。

    掃除、洗顔をして作業衣に着替え、講堂に行って体操教師の下で体操をしから、食堂で朝ご飯です。
    ご飯に味噌汁、魚、大根の漬け物の朝食を摂り、午前5時から作業を開始します。
    午前10時30分に昼食。
    11時に作業が再開され、14時に終了しました。

    14時から15時30分までは自由時間です。
    ツキさんたちは、そこで洗顔し、洗髪し、夏ならプールに入って楽しみ、冬なら火鉢で温まりながら、みんなと雑談して過ごします。

    15時30分になると、なんと授業が始まりました。
    科目は、国語、算数、作文、地理、歴史、修身で、他に茶の湯や生け花なども教わりました。

    16時30分に夕食。
    ご飯に野菜の天ぷらと大根おろしで、これに醤油をかけて食べました。
    食事の内容は、官署の検査を受けていて、カロリーは十分なものとなっています。

    そして18時から、ふたたび授業が再開されます。
    そこでは、裁縫、歴史、修身などを学びました。

    ツキさんがいちばん好きな科目は裁縫で、自分の着物や、小さい妹の着物などを作ったそうです。
    当時の日本女性にとって裁縫は必須で、それができなければお嫁に行けないといわれていました。
    工場で裁縫を学ばなければ、嫁入り前に裁縫学校に通わなければならいからだそうです。
    そして午後9時に床に就く。

    遅番のときは、起床が8時です。
    授業などは午前中に行われ、作業は14時から開始となりました。
    就寝は午前1時になります。

    年に1〜2回、授業が休みの日があります。
    そういう日には、講堂で映画が上映されたり、有名人がやってきて「日本精神」について講演することもありました。
    また、ときには同じ勤務時間の一同で、半日のピクニックに出かけたりすることもあったそうです。

    工場内には売店があって、必要なものはすべて工場内で間に合います。
    ですから工場の外に出る必要はあまりありません。

    ツキさんの日給は、はじめ35銭だったけれど、そのときは45銭に昇級していました。
    お正月には5円のボーナスが出ました。ツキさんには、月1円のお小遣いが渡され、残りは会社から家族に直接送金されていました。
    これはいまの相場にしたら、手取りの月給が月12万円くらいで、他に1万5000円くらいのお小遣いがもらえ、実家には毎月別途10万5,000円が送金されていて、年末にはボーナスとして40万円もらう、といったイメージです。
    しかもプール付きで、寮費も、食費も学費も、全額会社負担ですから、いまの感覚にしても、16歳にしては、ものすごい高給取りということができます。

    ツキさんは、農村出身の女性ですから、もし親もとにいれば、朝早くから夜遅くまで、年中無休で働きどおしです。
    しかも毎日つらい重労働で、食事で野菜の天ぷらなどを食べれることなど、まずあり得なかったし、自分が自由に使えるお金など1銭もありません。
    当時はそれが普通のことでした。
    工場での生活は、ツキさんにとって、まさに夢のような生活であったわけです。

    彼女はこの工場で4年間働きました。
    会社から送金されたお金は、ご両親が結婚資金としてちゃんと貯めておいてくれ、彼女はお見合いで「身元のしっかりした男性」と結婚し、工場勤めのときに学んだ裁縫や料理や教育のおかげで良妻賢母となって幸せな家庭を築き、夫を愛し、子を産み育て、親の面倒をみながら次の世代への架け橋を担って行くという人生をすごしました。

    朝日新聞社が昭和43(1968)年に出した山本茂実の「あゝ野麦峠」は、「女工哀史」として、あたかも女子工員たちが、奴隷のような悲惨さの不当な強制労働をさせられていたかのような描写がなされていましたが、実際にその現場を視察した米国人の女性ジャーナリストは、客観的真実として、女工たちの日常をしっかりととらえているわけです。

    「あゝ野麦峠」は、これが出た頃に本で読んで、そのあまりに可哀想な女性工員たちの姿に涙して、母に「昔は酷かったんだね」と話した記憶があります。
    当時、評判な本でしたので、私が読んだのは、親が買って来て読み終わったものを回してもらいました。
    そのとき母が言った言葉を今も覚えています。
    「もしね、従業員を
     この本にあるような使い方をしたら、
     社員はみんな辞めてしまうわ。
     日本の会社には、
     男も女も社員に奴隷なんていないよ。
     ひとりひとりの社員が
     立派な社会人として
     毎日を送ることができるようにしていくことが
     会社の努めなのだから」

    私がまだ小学校にあがる前、実家の裏手には、親戚がやっている染め物工場がありました。
    そこでは反物を染めるために、女性の工員さんたちがたくさん働いていました。
    その頃の私はまだ小学校にあがる前で、ほんの子供でしたので、ちょろちょろと工場に遊びに行って、女性の工員さんたちがそれを面白がって、仕事中だったのだろうけれど、ずいぶん可愛がってもらったのを遠い記憶として、うすぼんやりと覚えています。

    仕事は冷たい川に腰まで浸かって、長い反物を伸ばして洗ったりするものです。
    いま思えば、寒い時期にはきっとつらかったろうと思うのですが、けれど、なにやらみんなで歌を唄いながら、実に楽しそうで、子供心にその働いている姿が、とっても好きでうらやましいものに思えました。
    自分も大人になったら、ああいうことしたいな、って本気で思ったものです。

    昔の子供は、立派な大人になることが夢でした。
    立派な大人になれば、ああやって、みんなと楽しく仕事ができる。
    みんなの役に立つことができる。
    本気でそう思えるだけの事実が、目の前の工場にあったわけです。

    小学校の時に学年で視察に行った、たばこの専売公社の工場なんか、かっこよかったですよ。
    作業員のおばちゃんたちが、流れて来る白いたばこを、右手でぐわっとわしづかみするのです。
    そして左手の銀紙の中に、それをポンと入れる。
    その一瞬の動作で、20本の紙巻きたばこが、きれいにぴったりそろって銀紙の包みにはいるのです。
    子供がそこから一本抜いて、それをちゃんともとに戻そうとしても、はいらない。
    職人芸というのか、熟練の技というのか、すごかったです。

    そういえば、小学校の近くにあった自転車屋の親父さんも、かっこよかったです。
    手の指がグローブみたいに太くて、油で真っ黒に染まっているのです。
    その素手で、自転車のタイヤをホイと外して、パンクの修理をしてくれました。
    修理したチューブを、車輪に戻して、上からゴムのタイヤをかませるのですが、これまた素手で、いかにも簡単そうにやってしまう。
    子供がいくら道具を使って力を入れてもできないことを、素手でいかにも簡単そうにやってしまうのです。
    すごかったです。

    油にまみれ、顔や手を真っ黒にして工場で働く男たち。
    染め物工場で、冷たい川に入る女性たち。
    みんなが明るく、伸び伸びしていて、楽しげで、笑顔で、そこから出来上がって来るものは、子供心にも、素晴らしい魅力的な品ばかりでした。
    そりゃあ、子供はあこがれたものです。
    それが、日本における普通の職場であり、技術であり、製造の現場でした。

    昔の日本では、男女とも、12歳で小学校を卒業したら、そのまま働きに出る子が多かったのですが、それを雇う側は、ただ子供たちを働かせるのではなく、子供たちに教育を与え、手に職を与え、飯まで食わせてくれていました。そうした教育費や食費などは、全部、会社負担です。
    昔は、こうして同じ社員同士が、そして労使の関係も、まさに家族だったのです。
    そう考えれば、若い子たちを雇う以上、その子たちが、どこに出しても恥ずかしくないように、きっちりと教育をするのは、むしろ会社としてあたりまえのことと考えられていたのです。

    昨今では、会社は、ただ仕事をするだけの場になっていますから、社員旅行や、会社の宴会すら嫌がる社員が増えるのも、当然といえば当然です。
    給料にしても決して高くはないけれど、ただ額面だけの問題ではなく、寮費や食費、教育費などのことを合わせ考えれば、もしかしたらいまどきの上場企業のサラリーマンよりも、昔の女工さんたちの方が、はるかにマシな待遇を得ていたといえるかもしれません。

    ちなみにその給料も、戦前戦中までと、昨今では、考え方がずいぶんと変わってしまいました。
    我が国では、給料というのは、江戸の昔(あるいはそれよりもずっと以前)から、働いている社員に支払われるものではなくて、その社員の家に支払われるものでした。
    昔は給料は現金をそのまま封筒に入れて、給料日に手渡すというカタチだったのですが(給料が銀行口座への振り込みになるのは、銀行がコンピューターを採用してから後のことです)、その給料の入った月給袋は、封を切らずに妻に渡すのが常識でした。
    そして働いているお父ちゃんは、その妻から、毎月のお小遣いをもらう。
    給料は家に支払われるのですから、それがあたりまえだったのです。

    しかし考えてみれば、これは当然のことです。
    お父ちゃんが、外で元気に働くことができるのも、親や妻の支えがあってのことだからです。
    朝、家を出る時の朝食も、その洗い物も、背広やワイシャツや下着の洗濯も、家で妻がやってくれているから、お父ちゃんは、人に会っても恥ずかしくない格好ができているのだし、帰宅後の晩飯も、風呂も、妻がちゃんと家で家事をこなしてくれているから、お父ちゃんは、仕事のことだけを考えていることができるわけです。
    世の中、ひとりで生きているなんてことはなくて、すべてが万事、いろいろな人に助けられて生きているのだし、その大切な家族のために仕事をしているのですから、給料は、支えてくれている家族に渡すのが、会社としても、夫としても、これは当然のことであったわけです。

    こうした日本的経営が壊れたのは、戦後のことです。
    なぜ崩れたのか。
    これまた簡単なことです。
    家族として慈しみ、大切に育てられていた工員(社員)たちの中に、労使の対立などという、いびつな共産主義思想が入り込み、労使にあった紐帯を切り裂いてしまったからです。

    会社にしてみれば、社員を家族と思い、いつくしみ、大切にし、会社も社員もひとつの大きな運命共同体であり、社員は「おほみたから」であって、陛下と親御さんからの大切な預かりものだと思えばこそ、会社は社員を大切に扱い、教育や医療も施し、寮費や食費なども会社負担にしてきたわけです。
    それは、経営を考えたら、たいへんな出費です。莫大な経費です。

    ところがそうやって労使が一体となって頑張って来たのに、労働者の権利云々と仕事は放棄する。
    ストライキは繰り返す。
    経営者を集団で罵倒する。
    会社が与えてくれる教育や衣食住にさえも、感謝するどころか文句をつけて、対立のための道具にしてしまう。
    そんなことが戦後の高度成長の間、ずっと繰り返されてきました。

    対立することにしか目的がないなら、会社も、最早、教育も衣食住も、もはや与える意味などありません。
    与えれば、もっとよこせとデモやストライキを起こされるだけのことです。
    それならば、社員を家族と考えて、教育や医療や寮費や食費の面倒を、会社がみる必要などなにもない。
    その分、給料を上乗せしてあげるから、あとは勝手にして頂戴、としかいいようも、やりようもなくなったわけです。

    普通に考えて、本来なら国自体が貧しかった戦前戦中よりも、日本全体が豊かになった戦後の方が、もっと職場環境がよくなってしかるべしです。
    けれど、我を言って対立をあおって、日本的相互信頼社会をぶち壊したのは、まさに戦後左翼であったのです。

    もちろん、日本自体が外圧に屈したという側面もあります。
    談合入札や法的規制による参入障壁によって、企業の利益が常にちゃんと確保できる体制にあったものが、外圧に屈してそれらを政府がなんと「不法行為」にしてしまったのです。
    規制を緩和して参入障壁を下げ、談合を排除したら、工事は品質競争ではなく、ただの価格競争になります。
    当然、工事の質は下がる。
    結果は安かろう悪かろうです。
    人が大勢集まる、県を代表するような大規模観光施設でさえ、なんと防火設備がなかった!!
    ありえないことです。

    製品が安かろう悪かろうで良ければ、人件費の安い支那産や韓国産の粗悪品が売れます。
    そういうものは、すぐに壊れるから、また買わなきゃならない。
    モノを大切に使うという日本古来の美風まで壊れてしまっています。

    商業もまた然りです。
    大規模小売店舗法(旧大店法)が廃止され、全国に郊外型大型店ができた結果、駅前の古い商店街は、全国津々浦々、みんなシャッター通りとなってしまいました。
    こんなことは、すこし考えれば誰にでも簡単に予測できることです。

    どの家でも、一ヶ月に支出できる食費や衣料費は、一定の限りがあるのです。
    近隣世帯のその総和が、月間の食費市場であり、衣料品市場の規模です。
    もともと年間30億円の市場で、駅前の商店街が営業していたものが、近くに年商20億円の大規模店ができたら、その商店街の売上は30億から、いきなり10億円に下がってしまいます。
    そうなれば、商店街は倒産続出、シャッター通りになるのは、子供でもわかる計算です。

    しかも大型店は、仕入れの仕切値が安いから、近隣の工場も儲からない。
    大型店が儲けたお金は、その大型店の本社がある他の大都市に納税されてしまうから、地方の中小都市は、税収が減る。
    市の運営がむつかしくなり、慢性的赤字体質におちいる。

    戦後の日本は、いったい何をやってきたのだろうかと思います。
    しっかりとした教育や給料を与えていた産業を崩壊させ、日本人の教育の機会を学校だけにし、その学校教育では、日教組が道徳や歴史を否定する。

    結果、日本国内では、大学を出てたあとの就職先が、コンビニのアルバイトで、そのアルバイト先も、昨今では外国人労働者に取って代わられています。

    冒頭のツキさんが勤めた会社のようなものが、ついこの間までの日本では、あたりまえでした。
    よりよい未来を築くということは、いたずらに現状や過去を否定することばかりではありません。
    過去の良いところ、今の良いところを組み合わせて、国家百年、千年の大計を講じて、千里の道の一歩を踏み出す。
    そういう政治の持つ大きな機能こそ、いま日本に求められているのではないかと思います。

    ※この記事は2013年12月の記事のリニューアルです。
    お読みいただき、ありがとうございました。


    「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
    http://nezu621.blog7.fc2.com/

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